こんにちは、みちょるびんです。
【ある日の気づき(日記)】
年末調整に伴う、保険料控除の関係で、母・マミーが証書を郵送してくれていた。
作業をしていて、はたと気づいたのだが、両親が私に保険を掛けてくれているのだ。
保険に加入したその年は、私が海外に出た時だった。
なんだか、胸が熱くなる思いである。
これをもう長い間、父・パピーと母・マミーが支払い続けてくれているのだ。
30半ばにもなって、どういうことだろう。
ずいぶん甘えていたものだ。
故郷にたまに帰って、その時に少し、お金を包んでいたが、全然足りていないではないか。
両親の愛情に、感謝である。
【ある日の気づき2(日記)】
日曜日に家で書類等の整理をしていたら、古い手紙が出て来た。
中には、両親から送られたものもあった。
当時、海外にいた私に宛てた手紙。
感動した。
すっかり忘れていた。
こんなに長い手紙を、これまで、両親からもらった記憶がない。
特に、父・パピーの手紙に感動した。
父親らしい、人生の、社会人としての先輩として、アドバイスが書かれてあった。
私は、果たして、それらを守ることができていただろうか?
身についているだろうか?
いろいろと反省させられることが多い。
母・マミーの手紙も泣けた。
体のことが気遣ってあった。
私は、この二人から生まれて来て、育ったのだ。
感謝した。
様子のわからない海外で、一人で暮らしていた私のことが心配だったということもあろう。
当時は、メールなどはなかったし、連絡を取ること自体が難しかった。
田舎から、よくぞ、外国に手紙を出してくれたものだと、よくぞ無事に届いたものだと、感動する。
きっと、妹は、こんな風に、両親から手紙をもらってはいまい。
妹は、ずっと田舎で両親と暮らしていたし、故郷を出てから結婚するまでの間は、姉である私と一緒に暮らしていたのだから、両親も、この手紙ほどに、妹のことを心配するということはなかったろう。
電話という便利なツールもあるわけで、今は、いつでも声が聴けるのだ。
妹には悪いが、この手紙は、私の宝物だ。
妹に教えたい気もするし、悪いような気もする。
【ある日の気づき3(日記)】
休日の今日は、マミーの電話で起こされた。
地方に住んでいる、私の親友からの礼状が届いたという知らせだった。
先週の3連休の時、親友は、友達と二人で、私の故郷を観光に訪れていた。
そんな機会はなかなかないし、私は、親友に、是非、私の両親にも会ってほしいとお願いしていた。
親友とは、私が上京してからの付き合いで、住む場所を変えてからも、ずっと、仲良くしている。
私がよく親友の話をするので、両親は、親友が、私のいい友人の一人であるということを知っていた。
だから、親友が私の実家を訪れた際、母・マミーは親友のために、タクシーをハイヤーし、観光案内を手配してくれたのだそうだ。
私もマミーにお願いして、親友の好物をお土産に渡すよう、用意してもらっていたのだが、親友の話では、2箱もあったという。
もちろん、親友は感謝してくれたのだが、私も同様に感謝した。
両親が、私の友人のために、良くしてくれたのは、結局それは、私のためでもあるのだ。
親というのは、本当にありがたいものだ。
誰がここまでやってくれようか。
私の両親に宛てた、親友が書いた礼状は、とても上手だった。
旅先における、いろんなことに触れ、好感の持てる内容。
感心した。
親友は、筆まめで、心配りのできるステキな人なのだ。
私も、親友のように、なれるといいな。
いいお手本である。
「みちょるびんのの明るさは、マミーから、みちょるびんの優しさは、パピーから譲り受けている」と、手紙にあった。
なんか、くすぐったい。
そんなこと、考えたこともなかったが、うれしかった。
ありがとう、友よ。
【ある日の気づき4(日記)】
本を読んでいて、いろいろと考えさせられた。
何故私は、この家族を選んで生まれて来たのかと。
金持ちでもないし、よくわからない。
ただ、私がこうやって東京に出て来て、ある意味、好きにしていられるのは、やっぱり、家族のお陰であると思った。
仕事で故郷を離れる時、故郷に残していく家族のことなど、何も考えなかった。
それは当時、私も、家族の皆も、まだ若かったということもあるが、やはり、妹がいて、ばあちゃんもいて、そして、親戚のおばちゃんたちや従妹たちがいたから、父・パピーと母・マミーのことを安心して、故郷に残していけたのだと思う。
これは、感謝しなければならないことなのではないか。
故郷の家族は、私の心の支えでもある。
何時でも、帰れるという、強みでもある。
精神的にきつい時に、何度、救われたことか。
去年、両親が上京してきたときも、大変世話になった。
私が仕事で多忙で、家のことも、何もできずにぐちゃぐちゃでいた時だったので、本当に助かった。
きっと、両親に呆れられ、失望されるのだろうと怖かったのだ。
でも、パピーは、「これに気づけなかった、お父さんが悪かった」と自分を責めたのだった。
申し訳ない気持ちと同時に、救われた気がした。
親は、本当にありがたい。
私は、自分が、自由でいたいから、そうしていられる、安心のできる家族を選んだのだろうか?
ちょっと、それは、自己中心的な、思い上がった解釈だが。
もう少し、考えてみる必要はありそうだ。
以上、みちょるびんでした!