こんにちは、みちょるびんです。
昨日は記事「お世継ぎ問題!?」であれこれ勝手なことを述べました。
「後継者がいない」とか「その‘凄技’が誰にも受け継がれない」とか、そういう話を聞くと、みちょるびんは残念な気持ちになり、なんとかならないのかな・・・って本気で思うわけですが―――。
まぁ、これは、お世継ぎ問題に限った話ではないのですが、きっとどこかに、それを得意としている人がいるのだろうにね・・・って思うんです。
そういうのをうまくマッチングできれば、皆がハッピィになれるんじゃないかって思います。
「適材適所」という言葉がありますが、ヒトは皆、自分の特性やに特技を活かせる場があると、自己肯定感も高まり、幸福度が増すんじゃないかなぁとみちょるびんは思うんです。
そんなお手伝いができればいいのに!って、思います!!
みちょるびんはずっと「本来の自分に戻りたい」という感覚を持っていて、長い間「本当の自分探し」を続けている(「第一次仕事イヤイヤ期(その2:『原因究明』編)」)。
「自分純粋培養計画」とか、いろいろ考えているわけですよ!?
こんな風に言うと、みちょるびんは今の自分に満足していないように聞こえるだろうし、「自分は幸せではない」と自分で認めているようにも映る。
いつでもラッキーでハッピィでありたいという見栄っ張りなみちょるびんとしては、そういう好ましからぬネガティブ要素を抱えていること自体、イヤなんですけどねっ!
それにそんな時に毎回生じる葛藤は、仕事もあって、住むところもあって、好きなものを食べて、好きな服を着て・・・十分に幸せじゃない!?っていうこと。
何が不満なの!?
そう思うと、罰当たりだなとかって、心苦しくも感じてしまう。
だけどさ、肝心の「心」が満たされていない、だから、現状を受け入れられないって思うんです!
贅沢な悩みとも言えるのかも知れませんがね・・・。
この‘心が満たされていない’っていうところ―――。
たまに、それはもしかすると「愛」が欠乏しているからなのかな!?と考えることがあります☆
みちょるびんの場合で言うと、「恋人」とか「パートナー」とか、そういう存在がいないからなのかなぁ・・・???ってね。
その辺は確めようがないので、答えは出ないのですが、きっとそれも原因の1つではないかという考えはあります。
みちょるびんは現在、外国で一人、家族や親しい友達たちと遠く離れて暮らしている。
みんなとはSNSなどでつながっており、たまには連絡もするし、完全に孤独というわけではない。
それに、周囲には仲間もいる。
だから、完全に「愛」に枯渇しているというわけではないのだけど、「恋人」や「パートナー」は、また違った形で自分の心の支えになることもあるのかな・・・その「特別枠」が埋まれば、あるいは満たされるのかな?という思いもある。
いずれにせよ、現時点ではそれは望めそうもないし、第一、他者に「愛」を埋めてもらおうなんて‘他人任せ’でいては、いつまでたっても真の幸福は得られない。
これは「ゲットできたらラッキー♪」というくらいで考えていた方が良い。
じゃぁ、それ以外の方法で「心を満たす」にはどうすればよいのか―――?
ここで感じるのは、まずは「自己肯定感」を高めるということではないかと思います。
「自己肯定感」とは、自分の価値や存在意義を肯定できる感情というような意味がありますが、もちろんこれは、自分のプラスの部分だけではなく、マイナスと思われる部分もひっくるめて、ありのままの自分を自分自身が受容できるかどうかというところにかかっている。
だから、あまりに理想が高かったり、ストイックだったりすると、その分、自分に対する評価が低くなる可能性もあるので、それは注意。
だけどこれって結局は、自分の価値観にゆだねられるものだから、難しい・・・。
ここではたと気づいたのですが、なんだかんだ言ってはいるが、みちょるびんは「自己肯定感」は高いんだと思う☆
だって、みちょるびんって「自分大好き」じゃん!?
いや、普段はそういう自覚は全くないのですが、過去に友達からそういう指摘を受けたことがあります(「第一次仕事イヤイヤ期(その10:『まんGO大賞』編)」)。
ずっと半信半疑でいたのですが、こうやってブログを書いているとひしひしと「自己愛」を感じることがある・・・。
みちょるびんのこの「記録魔」っぷり(「ご趣味は? PartⅥ(記録魔)」)は、自分から白状すると、実は「自己愛」の表れじゃん!って思う。
そうなると、みちょるびんが渇望しているもの、それは他者からの「承認」ではないか!?
あ、「自己肯定感」を高めるにはどうすればよいのか、ということで、次に来るのがこの「承認欲求」だと思っています☆
「承認欲求」とは、他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという欲求のこと。
自身の「承認欲求」が満たされれば、ヒトは幸福感を増幅できるんじゃないかと思います。
「本来の自分に戻りたい」とか言って、内省しているように見せかけて、結局は、他人からの評価を基準にするのかよ!?って、批判されそうですが―――。
でもね!
人里離れた場所で自給自足して暮らすなどしない限り、ヒトの助けを借りずに生きていくことはできないし、結局ヒトは皆、ヒトとの関りの中に生きているんです。
そうした時に、少しでも自分がヒトの役に立っている、受け入れられた、感謝された・・・っていう実感が持てるのであれば、自分の存在意義を高め、自分で自分のことを受け入れられるようになるんじゃないか・・・って思います。
みちょるびんの不幸は、自分の「得意」を活かせていない、その「得意」で他者から承認されていない、っていうジレンマにあるんだと思います!!
以上、みちょるびんでした!