こんにちは、みちょるびんです。
(前回までのあらすじ)
入社して最初の数年は、一つの夢も実現し、何の疑問もなく、仕事に励んでいたみちょるびん。そんなある日、占いで「将来、商売を始める」「自分を抑制している」と告げられ、仕事に対し、違和感を感じ始めた。学生時代に熱中していた「演劇」に活路を見出し、カルチャースクールの演劇講座を受講。そこで出会ったつるさんに誘われ、新たにダンス教室に通うことになったのだが・・・。
【ある日のダンス日記】
今日は、何だか、急に、ダンス教室に行きたくなった。
気がつくと、もう、3か月以上もダンス教室には行っていなかった。
久しぶりのダンス教室。
このところ、仕事やプライベートで、いろいろな行事が重なり、なかなか行き出せなかったのだ。
そして、「行きたいと思った」こと自体も、久しぶりだった。
実は、今日は、午前中に教会に行ったのだった。
故郷で一緒に暮らしていたばあちゃんの命日が近かったのと、親しかった友人が亡くなって、ちょうど49日だったから。
二人のために、お祈りしたくなった。
何だろう。
ミサ中に、涙が止まらなくなって、鼻水をズルズルとすするはめになり、恥ずかしかった。
音が出るものだから、前の席に座っている人から、不審そうにこちらをふり返られたりした。
以前にも、久々に教会に行ったとき、涙が出たことがある。
その時は、心が洗われたような感じがしたというか。
教会に行くと、素直な気持ちになれるようだ。
今回もそれに近い感情なのか。
それとも、亡くなった人たちを想ってのことなのか。
神様と対話しようとすればするほど、涙が溢れ出たので、ミサ中は何も考えないように努めた。
そして、ミサが終わってから、急いで、早口で、お祈りした。
私は涙を流しながら、また、思ったのだ。
やっぱり、まだ、悲しみから立ち直っていないのではないか。
1年前に亡くなった、ばあちゃんですら、思い出すと、未だに涙が出るのだ。
親しかった友人の死は、ごく最近のことであり、尚のことではないか。
そういえば、この間も、夜に、急に泣いてしまったことがあった。
友人のことを思い出して。
いい加減、もう、涙は出ないだろうと思っていたから、自分でもびっくりしたのだった。
心理学の本か何かで、悲しいときは、思い切り泣いた方がいいと書いてあった。
感情を溜め込まず、発散した方がいいのだそうだ。
自分では、ずいぶん泣いたと思うのだけどね、十分過ぎるくらいに。
そう安々と、涙は枯れないらしい。
なんだか、自分で、自分のことが、かわいそうになった。
午前中に、そんな思いをしたせいなのか、心境の変化。
突然、急に、踊りたくなったのだ。
久し振りに訪れたダンス教室で使われていたその曲は、映画「風の谷のナウシカ」のメロディーに少し似たところがあり、どこか、懐かしい感じがした。
その曲を聴いていると、急に空が晴れ渡って、懐かしい人=亡くなった友人が、姿を現わす・・・というような、そんなイメージが湧いてきた。
そしたら、また、涙が出て来た。
一曲全てを聴き終えたところで、今日はもう、踊ることなんてできないんじゃないかと心配になったほどだった。
午前中に泣いたから、涙腺がゆるくなってしまっているのか??
そんな心配とは裏腹に、今回の即興ダンスは、良かった。
先生に褒められ、先生の批評を受けたのは、最後だった。
ダンス教室に通い出して、2年半になろうとしていたが、それは、初めてのことである。
先生は、皆の即興ダンスを見終えた後に、各人の即興ダンスに対するコメントを、一人一人にくださる。
先生のそのコメントの順番が、後になるほど、先生からの評価が高くなるという感じがあった。
私がダンスを始めた頃は、先生からいただくコメントは初めの方だったし、確かに、先生のコメントが後になればなるほど、素人の私が見ても、それらのダンスは、とても興味深い、印象に残るもののように感じられた。
そして、最後に先生のコメントを贈られたダンサーは、輝かしいというか、私はいつも、羨望のまなざしで彼らを見ていたのだ。
だから、先生の批評を最後にいただけるということは、私の中では、とても特別なことで、名誉なことだと思っていた。
それだけに、今回、私に対する先生からのコメントが、最後に行われたことは、私には、とても誇らしいことなのである。
先生からは、リズム感が抜群だと言われた。
独特のセンスが、踊りの振りにあると。
先生に、クリエーターになるかもしれないとまで言わしめた。
ありがたい。
本当に、ありがたいことである。
今日は、踊りたくて、踊ったのだ。
内側から出て来る、何かがあったに違いない。
久々のダンスは、気持ち良かった。
また、ダンス教室に、通い出したいと思った。
以上、みちょるびんでした!