こんにちは、みちょるびんです。
(前回までのあらすじ)
入社して最初の数年は、一つの夢も実現し、何の疑問もなく、仕事に励んでいたみちょるびん。そんなある日、占いで「将来、商売を始める」「自分を抑制している」と告げられ、仕事に対し、違和感を感じ始めた。学生時代に熱中していた「演劇」に活路を見出し、カルチャースクールの演劇講座を受講。そこで出会ったつるさんに誘われ、新たにダンス教室に通うことになったのだが・・・。
【記念すべき初「文楽」のラッキー鑑賞日記】
今日は、楽しみにしていた文楽の日だった。
昨日は、寝たのが遅く、睡眠時間が4時間ちょっとしかなかったので、起きる時つらかった。
案の定、観劇中、いくらか眠ってしまった。
6,000円もしたのでもったいなかったが、でも、十分に楽しめた。
初めて観る文楽は、非常にもの珍しく、興味深かった。
脇役は、人形遣いが一人で操るが、台詞のあるような人形の場合は、3人がかりで操っていた。
1体の人形をなめらかな動きで操るには、さぞかし、3人の息が合わないといけないのではないか。
歩くときは、ちゃんと、足を動かして歩くのが楽しかった。
ちょっと、歌舞伎にも似たポーズをとるところも面白かった。
川を泳いだり、鳥に乗ったりするシーンなど、面白かった。
一番すごかったのは、演目「加賀見山旧錦絵」の中でも「長局の段」の後半から、「奥庭の段」にかけてだろう。
お初の主人である尾上が、岩瀬のいやがらせのせいで自害してしまい、お初が変わりはてた姿の尾上を見つけたあたりからだ。
物語は、一気に盛り上がり、逆上したお初の一挙一動から目が離せなくなった。
私は、それまでとは違い、本当に、人形に魂が入っているようにさえ、錯覚しそうだった。
おそらく、人間でも、ここまでドラマティックには演じられないだろうと思った。
お初人形は、いろんなポーズを交えながら、くやしさや、憎しみを体で表現するのだが、本当に、そのスピード感から、緊張感が伝わってくるのだ。
箱から、手紙を出して、サーッと広げて読むところや、そのまま手紙を抱えて、あわてふためいて屋敷に戻っていくシーンや、そして、一番印象的なのは、別の一枚の着物を上に羽織って、さっそうと風を切って走り去っていくところ。
彼女の決意や、やりとげなければという使命感に燃え、失敗は許されないという緊迫感が感じられ、まさに、足早に立ち去るというその足が、妙にリアルで、迫力があった。
私は、この後半のクライマックスの部分を観られただけでも、十分に、「文楽」を観た価値があったと満足できた。
実は、面白いことがあった。
それまで、尾上とお初のやりとりは、屋敷を舞台にして行われていた。
そして、お初が尾上のいいつけで、屋敷の外に出たシーンに入り、舞台の壁の絵(背景)が変わった。
お初が、袖から現れた時だった。
私の左隣の席に座っていた(知らない)おじさんが、「あっ」と小さく声を上げたのだった。
その次に、「ダンジューロー?」と言って、自分の持っていたパンフレットをパラパラとめくったのだ。
その様子は、まるで、期待していなかった人形遣いが現れたことに面喰い、自分のその認識に誤りがあったのかを、確かめている・・・といった体だった。
彼の「あっ」は、‘驚き’の声で、且つ、‘喜び’の声に聞こえた。
私は、おじさんの変化が気になったという点もあるが、でも、何より、後半に向けて、人が変わったように、生き生きと力強く動き出したお初から目が離せなくなった。
そして、お初の横に立つ、妖艶な人形遣いも、お初と同様に、気になって仕方なかった。
なんというか、その人形遣いのお初を見つめる目というか、その表情というか、お初の演技に酔っているとでもいうのか、恋しているとでもいうのか、いわゆる、‘本来、無機質であるはずの単なる人型をした物体を見ている’という目ではないのだ。
お初にテレパシーを送っているというのか・・・。
とにかく、不思議な光景だった。
隣のおじさんの、ついついも漏らしてしまった声の意味は、十分に理解できるような気がした。
私は、自分の前の列に座っている(別の知らない)おじさんたちが、歌や物語の進行に合わせて、頁をめくっている小さい冊子が気になったし、やはり、ストーリー展開がとても気になったので、パンフレットを買うことにした。
そして、あの人形遣いが誰なのかがわかった。
「口上」が午後の部に予定されているというのは、チラシを見て知っていたのだが、その口上は、吉田簑太郎の三世‘桐竹勘十郎’襲名披露だった。
パンフレットの中で紹介されていた写真の人物に、見覚えがあった。
お初を熱く見る人形操り師、その人だったのだ。
パンフレットを確認したが、お初の「人形役割」には、桐竹勘十郎の名前はなかった。
つまり、当初予定していた人形遣いに代わって、勘十郎がお初を務めたということになる。
左隣のおじさんが、驚きの声を上げた理由である。
一瞬“ダンジューロー”とも聞こえたその名は“勘十郎”だったに違いないのだ。
良くわからないが、もしかすると、とてもラッキーだったのかも知れない。
隣のおじさんに訊かないと、真意はわからないが、きっとおじさんがあげた声は、‘喜び’であったろうと思う。
だって、あんなにすばらしかったのだから。
私が感動したのだから、そうに決まっている!
私は、文楽のファンになったと同時に、三世‘桐竹勘十郎’ファンにもなった。
以上、みちょるびんでした!