こんにちは、みちょるびんです。
「日本の誕生石」が63年ぶりに改定されました。宝石鑑別のディプロマを持つみちょるびんが、「誕生石」として選ばれた‘栄えある宝石’たちについて、独断と偏見を交えながらご紹介したいと思います!
「ガーネット(1&2)」「クリソベリル」「アメシスト」「アクアマリン」「モルガナイト」「サンゴ」「ブラッドストーン」「サードニクス」「ダイアモンド(1&2)」「タンザナイト」「アイオライト」「エメラルド」(「日本の国石」)「ヒスイ」「真珠」「ムーンストーン」「アレキサンドライト」「ルビー」「スフェーン」「スピネル」「ペリドット」「サファイア」「クンツァイト」「トルマリン」「オパール」「トパーズ&シトリン」に続く、第28弾!!
ジルコン
「ジルコン」は屈折率が高く、ダイアモンドに見られる虹色の光(ファイアー)が見られることもあり、無色のジルコンは19世紀に、ダイアモンドの代替品として広く用いられたのだそうです。
ジルコンは、その強い輝きのため、古代ギリシャ人に好まれた宝石の一つで、彼らは赤味のあるこの石を「ヒヤシンス」と呼んでいました。
ジルコンの和名の「風信子石」(ひやしんすせき)は、ここからきています。
ジルコンの名は、おそらくアラビア語の‘Zarquin’(朱の意)またはペルシャ語の‘Zargun’(金色の意)に関連するとも考えられており、これらの名はどちらも、ジルコンの色名として今日まで残っているとのことです。
ジルコンは、トルマリンやサファイアのように、虹色(七色)の色相で産出されます。
コレクターはその様々な色を愛でますが、一般の消費者の場合、人気はブルー・ジルコンに集中するのだそうで、ディーラーが販売するジルコンの80%は、ブルーなのだそうです。
その「ブルー・ジルコン」、1880年代頃の英国ビクトリア朝時代にも人気を博したことがあったのだそうです。
しかし実のところ、みちょるびん、その辺があんまりしっくりきていません。
みちょるびんは、アンティーク・ジュエリーが好きで、博物館や美術館でジュエリーの展覧会などが開催されれば、できるだけ出かけるようにしていました。
だから、それなりに、いろいろと見たつもりですが、そういった歴史あるジュエリーの展覧会で、ブルー・ジルコンを用いたジュエリーについては、あまり印象に残っていないのです。
もちろん、見たもの全てを記憶しているわけではありませんし、みちょるびんが知らないというだけなのでしょうけど、それにしても、ビクトリアン・ジュエリーに、ブルー・ジルコンは、馴染まないような気がしています・・・。
勝手ですが。
一方、9月の誕生石「クンツァイト」の名前の由来となった、鉱物学者ジョージ・フレデリック・クンツは、‘ジルコン押し’だったと言われています。
ちょうど、2007年に東京庭園美術館で開催された展覧会「世界を魅了したティファニー 1837-2007」のカタログが手元にあったので、ジルコンを使った作品が掲載されているか、見てみました。
クンツ博士がティファニー社に入った1880年頃から、アール・デコが始まるくらい
(1920年頃)までの期間に絞ってみたところ、3点のジュエリーを確認できました。
そのうちの1つ、1900年頃の作品で、地金が22金で、ダイアモンド、メキシコ産ファイヤー・オパール、ルビー、ジルコン、ペリドット、トルマリンを用いた「カラー」(首飾り)は、とてもカラフルで印象的でした。
1879年にクンツ博士がティファニー社に迎えられてからというもの、ティファニーのジュエリーには、エキゾチックで希少な宝石が、しばしば取り入れられるようになったそうです。
中でも特に、北アメリカ産の宝石が多く使用されたのだそうで、前述の「カラー」に使われていたファイアー・オパールも、クンツ博士がメキシコから買い付けてきたものだそうです。
この「カラー」について「ニューヨークタイムズ」紙は、「世界最高の品質のメキシコ産オパールを集めた逸品だろう」と伝えたそうです。
ところで当時、ダイアモンドは、ヨーロッパの宮廷文化の中では主流の宝石でしたが、米国においては19世紀後半まで希少性の高いものでした。
そんな中、ティファニーは、米国でいち早くダイアモンドを販売したジュエラーの一つでした。
当時アメリカで湧き起こりつつあったダイアモンド・ジュエリーへの憧れが、ティファニーを成功に導いた大きな要因であると考えられているそうです。
さて、1900年頃になると、それまで目にすることの少なかった鉱石や、モンタナ産サファイア、メキシコ産ファイヤー・オパールなどの新しく発掘されたアメリカ産の宝石が取り入れられるようになり、鮮やかな色彩の宝石が、ティファニーのジュエリーに、独特の華やぎを添えることになりました。
これは、宝石学者であるクンツ博士の功績によるところも大きいと考えられており、それまでのヨーロッパ製には見られない、非常に冒険的で色彩豊かなジュエリーの創造に貢献したと言われています。
ここから先は、みちょるびんの勝手な想像でしかありませんが―――。
1900年頃といえば、自然主義のアール・ヌーボーという色彩豊かな様式が流行していた真っ只中。
そういう状況にある中で、‘憧れのダイアモンド’に対する需要が高まっていたのですから、クンツ博士が「七色の色相」と「ダイアモンド並みの虹色の輝き(ファイア)」を合わせ持つ「ジルコン」に着目したとしても、それは何ら不思議なことではないと思いました。
社会事業家の妻だったエレン・ギャレットン・ウェードは、友人でもあるクンツ博士の助言のもと、希少な‘ファンシー・カラー’ダイアモンドを熱心に収集し、後に、彼女のコレクションは、グリーブランド自然史博物館に寄付されました。
このコレクションのハイライトは、24ものファンシー・ダイアモンドで、深い緑からピンク、オレンジ、茶、濃い青色をしているのだとか。
財力がある人には‘ファンシー・ダイアモンド’でしょうけど、そうでない人には、たくさんの色相を持つ「ジルコン」がその欲望を満たしてくれることでしょう。
クンツ博士は、「スターライト」という名称をつけて、炎のような特徴のジルコンを売り出したことがあったのだそうですが、残念なことに、この名前は全く根付かなかったそうです。
「タンザナイト」「クンツァイト」「ツァボライト」・・・と、数々の新たな宝石の火付け役となったクンツ博士がかかってしても、ダメでしたかぁ・・・。
ジルコンは、古くからある宝石ですしね。
みちょるびん的には、「風信子」の当て字がインパクトあって、好きです!
ふう・のぶこ?
以上、みちょるびんでした!
【参考文献】
「世界を魅了したティファニー 1837-2007」(2007年)
「宝石 その美と科学」(1972年、近山晶著)