こんにちは、みちょるびんです。
昨日は、自分の「承認欲求」を満たし、「自己肯定感」を高くできれば幸福感を増幅できるのないかというみちょるびんの考えを発表しました(「お世継ぎ問題!? Part Ⅱ」)。
「承認欲求」とは、他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという欲求のこと、「自己肯定感」とは、自分の価値や存在意義を肯定できる感情というような意味です。
この「承認欲求」―――。
これを満たすのに、みちょるびんは、特別な才能は必要ないと思っています☆
とは言え、SNSの発達した現在、右を見ても、左を見ても、才能あふれる人たちばかりで、何も持っていない自分、何もできない自分のことをダメだなって、自信を失ってしまいそうになる・・・。
みちょるびんなんかが、まさにそれで、ウィルスの蔓延をきっかけに視聴し始めたyoutube動画で、初めて見た独創的で個性的な人たちを前に、何度も心が折れそうになりました。
これまでみちょるびんは「人真似は嫌い」という気持ちが強かったし(「その後の田鶴美氏。」)、オリジナリティを大切にしてきたつもり。
だけど、みちょるびんは規制の強い組織(会社)に属し、’オフィスレディ’という商売をやっている。
もう随分と長い間、裏方に徹っし、ずっと息を殺して暮らしてきました。
本当は目立ちたがり屋なのに(「第一次仕事イヤイヤ期(その61:『隠れ‘目立ちたがり屋’』編)」)もう長いこと、「自分」を出さないように、「自分」を抑え込んできた。
でもそのせいで、息苦しくなってしまった(「第一次仕事イヤイヤ期(その2:『原因究明』編)」)。
そうした中、子供の頃に得意だった「ダンス」を始め、自由に表現できる場を得られたことで、心のコリがほぐれ、ようやく少しずつ「自分」を解放することができるようになり――、そのおかげでだいぶん、「自分」を表現できるようになった気がしています(「第一次仕事イヤイヤ期(その8:『ある変化』編)」)。
とは言え、学生時代にクラブ活動で「演劇」をやっていた頃ほどに、「自由」というわけにはいかない。
やっぱり制約がある。
大人になり、生きていくためには働いてお金を稼がなきゃならないし、会社が望む人物像に近づくことが求められる。
気分の赴くままに、好きなことだけを自分に与えるということはしていられない。
「自分」エンジンをフル回転させるのは、どうしても難しい。
だから、こんなんじゃない、生っちょろい、まだまだだ!って、自分に対する評価が厳しくなるわけ。
みちょるびんはよく、高校時代の、感受性が豊かで、キレッキレに感覚が研ぎ澄まされていた頃のことを懐かしんでいますが、それは思い出の中のことであり、実際よりも当時を美化されていることも十分にあり得る・・・。
演劇活動が何かで賞をとるなど、社会的な評価を受けたことなど一度もなかったし、通っていた学校の中でちょっと目立って、皆に面白がられていたというだけ。
他校の生徒にもちょっとしたみちょるびんファンがいて、道を歩いていると手を振られたという経験もあるけど、人気芸能人に聞くような、伝説的な爆発的なカリスマ的な人気というものには程遠い。
それに第一、今から女優になろうって思っているわけではないし、その才能が自分にあるとも思っていない。
じゃぁ、ナゼにここまであの頃を懐かみ、あの頃の自分に固執するのか―――?
それはきっと、何者にも縛られずに自由でいられたこと、自分の感覚・感性を信じられていたこと、そしてそこに(小さいコミュニティながら)周囲の関心を集め、一目置かれていた=「承認欲求」が満たされていたという、自分にとっての成功体験が鮮烈に、根強く残っている―――からなのかも知れない???
それ以降も確実に、承認欲求が満たされるような場面はあったのだと思うけど、結局、自分が一番こだわり、求めているものは、あの頃の輝き(なんか、昔の映画などにありがちな、未だに過去の栄光にすがりついて‘落ちぶれた元大スター’・・・みたいなノリだな)。
現在の生活が、‘あの頃’のものから随分かけ離れているから、だからきっとそのせいで、いつまでたっても「承認欲求」が満たされないのかも知れない・・・??
なるほどなー。
思っていた以上に根が深い。
複雑なのかも知れないなぁ・・・。
話を元に戻すと、みちょるびんは‘クリエイティビティ’に憧れがあって、その世界にはオリジナリティ、強烈な個性が求められると思っている。
youtube動画を観ていると、右にも左にもそういう人がわんさかいて、皆さんとても才能にあふれていて、そういった人たちの作品を見るたびに、自分がかすんで見えてきて、自信を失う・・・ということが何度もあったように思います。
これはもう自分を信じるしかないのだけど、こうも情報が溢れていると、惑わされる。
ちょっとルックスが良くて、機転が利いていて、行動力がある人には生きやすいかもしれないけど、そうでない人は、みちょるびんのような‘井の中の蛙’にすらなれず、勘違いですらも味わえず、根拠のない自信に満ち溢れるという体験が得られにくい世の中になっているのかもしれないな。
それだとますます、行動できる人とそうでない人との間の‘格差’が広がっていきそう・・・。
最も、その「行動できる」というところが、特異な才能がある云々という以前に、実はもう立派な才能だと言えるとも思うんですけどね☆
なんか、考えがまとまらない・・・。
そろそろ時間切れーっ!
そういう日もあるさーっ!!
以上、みちょるびんでした!