こんにちは、みちょるびんです♪
【SD月間とは】
当「ぷぷっ・ピィ・DO」では、「1日1記事」を目標に、記事の毎日投稿を行っているところです。
しかしこのところ、投稿に遅れが出るという由々しき事態に直面しています(- - ☆)。
そんなわけで、誠に勝手ではございますが、しばらくの間「ショート・ダイアリー」月間と定め、サクッと投稿させていただく作戦を展開することにいたしました。
「ショート・ダイアリー」(Short Diary)、略して、SDです!
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1,001編の短編小説を世に送り出した「ショート・ショートの神様」と呼ばれる星新一。
優れた作品とこの実績があるわけだから、彼には才能があったということは誰もが認めるところだろう。
だけど、その神様だって産みの苦しみを味わっている。
すらすらと書けたのは、わずか3年に1回くらいだったのだそう。
1,000編は30年かけて書いたらしいので、合計すると10編くらいだとか。
他はどれも苦しんだあげくの産物ということらしい。
ご本人も言っているが、アイデアというものは、ひらめくといった形容は似つかわしくないとのこと。
むしろ、みっともないぐらい。
不器用で、泥臭い作業の積み重ねなのだそうだ。
そして、それに耐えるのが、才能なのだろう、と。
180cmという長身から、「日本SF作家クラブ」で、自分より背の高い者の入会は認めないと言う冗談規則を作った、自信家の発言とは思えない。
星新一はさらに、次のようにも言っている。
それ以前のいくつも作品があってこそ、1,001編にたどり着けたと。
この上ない満足感は、一作を作り上げるたびにひそかに味わっており、苦しみに費やした気力の量が大きければ、喜びも大きいのだと。(「1001編」――『きまぐれ遊歩道』、平成7年6月1日発行)。
技術もあるし、きちんと形にできたことによって満足感が得られ、それがまた1つの自信にもつながる。
振り返ると、その苦労はよき思い出にかわり、また次の作品を産む意欲になる。
そうして星新一は作品を産み続け、世の中に受け入れられた―――。
神様だって、作品を生み出す工程で苦労していたっていうことは肝に銘じたい。
つまり、神様ですらそうなのだから、凡人のみちょるびんがそうなることは当然だということ。
だから、楽しめていないことが、その事項に向いてないって結論づけることはない(「SD月間! #5.禁句。」)。
苦痛に耐えるのが才能。
継続できることが才能。
だとしたら、自分次第で才能は作れるってことだね。
以上、みちょるびんでした!