こんにちは、みちょるびんです。
1.最近気づいたこと
最近気づいたことがあります。
みちょるびんは、長い間、「自分探しをしている」と自分で思っていました。
文化センターの演劇にはじまり、ダンス、宝石鑑別の勉強、デッサン・・・等、いろいろやってきました。
どれもこれも、楽しかったし、好きなことでした。
確かに、長い間、自分にとって窮屈に感じる仕事をしていて、規則を遵守し、他者と足並みを揃えるということに疲れを感じています。
「抑圧されている」と、第三者(占い)に指摘されて、初めてそれを自覚し、それがきっかけとなって、「本来の自分に戻ろう!」と、ダンス等の活動を始めたのでした。
でも、それは、あくまでも、「自分の本当の声」に耳を傾ける作業だったのだろうと思いました。
そこで、最近気づいたこと、というのは、ダンスにしても、宝石鑑別の勉強にしても(もちろん、純粋に楽しかったからやっていたということはありますけど)、その先にあった思い(=願い)というのは、「生活(=人生)の時間の大部分を占める仕事を、変えられないか」ということにあったということです!! (えっ、今更!?)
ダンス教室に通っていた頃のみちょるびんは、ちょうど忙しい部署にいて、「休日出勤も当たり前」のような生活をしていました。
初めの頃は、与えられたチャレンジングな仕事に意欲を燃やし、「突然目の前に現れた強敵を倒すような感覚」で、負けないように必死に食らいつき、仕事に取り組んでいたように思います。
だから当時は、無我夢中だったし、闘志もあったので、問題ありませんでした。
だけど、だんだんと慣れてきて、それが、パターン化された繰り返しのように感じられてくると、ガス欠になってきたというか・・・。
多忙な環境が、かえって、みちょるびんを、つらい気持ちにさせたように思います。
その後、配属先の異動もあり、新しい変化はありましたが、やっぱり、根本的なところで、自分が窮屈に感じる状況に置かれていたことは、変りはなく、やっぱり、何とかしたい(=早くそこから脱出したい)という気持ちを、いつも持っていたのだと思います。
今更ですが、よくよく考えてみると、「仕事を変える」ということが、問題解決の早道だったのではなかったのかと、悟りました・・・!!!
まぁ、模索はしたのだけど、なんだかんだ、勇気がなくて、その場に長い間とどまっているというのが、実情なのかも知れませんね、情けありませんが。
2.「天職」と「適職」
みちょるびんはアンティークが好きなのですが、アンティークのお店の店主との会話で、印象に残っていることがあります。
ある日、アンティーク店を訪れた時に、「好きなアンティークに毎日囲まれ、それを仕事にできて、幸せですね」と、店主に声をかけたことがありました。
そのお店で扱っているアンティークが、どれもとても素敵で、心から羨ましいと思ったからでした。
ところが、店主から返ってきた言葉は、「好きだったら、かえって、仕事にしない方がいいですよ」という意外なものでした。
不思議に思っていると、店主が、次のように続けました。
「必ずしも、自分が良いと思うものが売れるというわけではない。生計を立てるためには、自分の意に反する、好きでない商品も扱わなければならない。」
そういうものなのかなと、その時は思いましたが、今でもこの店主の言葉が心に引っかかっています。
ところで、みちょるびんは、褒められたいし、未来に明るい希望を見出したいので、「占い三択リーディング」の沼にどっぷりハマってしまっているわけですが、好きなテーマのキーワードに、「天職」と「適職」があります。
この言葉を動画のサムネに見つけると、ついつい、チェックしてしまいます。
しかし、この「天職」と「適職」、似ているようですが、大きな違いがあります。
自分の「天職」と「適職」に関心を持つ前に、まずは、このそれぞれの定義を理解しておく必要があります。
それぞれの意味をご説明すると、次のとおりです。
「自分の技能を生かし、生活のためのお給料をもらうのが『適職』。これに対し『天職』は、自分が心から好きなこと。収入は度外視して、才能をのびのびと生かし、それをすることによりたましいに喜びが得られることを言います。」
(「スピリチュアル プチお祓いブック」江原啓之著)
江原さんによると、この「天職」と「適職」が一致している人は稀で、多くの人が異なっており、この二つのバランスが大切だということでした。
ついつい、この二つは混同してしまいがちですが、きちんと分けて考えられれば、気持ちにも整理ができ、楽になりそうです。
さて、これを踏まえて、アンティーク店の店主とみちょるびんの会話を振り返ってみると、みちょるびんは、店主に対し、アンティーク店を営むという仕事は、「天職」なのだろうという前提で話したのですが、それに対し店主が返してきたのは、「適職」だということなのだと思います。
もちろん、アンティーク店を営む上で、心から楽しいと喜びを感じることができることもあると思うので、一部、「天職」も含まれているのだろうとは思いますが、あの店主にとっては、「適職」の比重の方が大きかったのでしょう。
3.「天職」の見つけ方
’生計を立てるために欠かせない’仕事ということであれば、できれば、自分にストレスがなく、得意なことでお金を稼げることができれば一番いいに決まっています。
そうなると、自分の「適職」が何なのかということが、気になってきます。
だから、「’適職’探し」を、外に求めたくなる気持ちはわかるし、占いなどを参考にするのも面白いと思います。
だけど、「天職」は、本来、自分の中に答えがあるものだと思います。
もちろん、未経験であるが故に、未知の領域に、「天職」が隠されているということはあるでしょう。
例えば、「スキューバダイビング」は、なかなか経験する機会がないので、自分が好きかどうかもわかりませんが、実際に体験してみて、ハマるということだってあると思います。
このように、自分が置かれている環境では、なかなか出会うチャンスがない「天職」も実際に存在するように思うので、そういう観点からは、第三者の手を借りるということも良いのかも知れません。
が、でも、やっぱり、繰り返しになりますが、「決める」・・・というか、「感じる」というか、探し当てられるのは、自分自身でしかないのだということです。
心が安らぎ、豊かになるための一つの手段として、「天職」との出会いは大きいと思うので、是非とも、出会いたいものですよね!
さて、「天職」の答えは、自分の中にあるわけなので、実際にトライしてみるということが、「天職」を探し当てる上で、重要な作業になってくると思います。
だから、いろいろなことにチャレンジしてみることは、いいことなのだと思います!
自分で実際に試してみて、経験して、初めて、ようやく「答え合わせ」ができるという感じでしょうか。
もちろん、1回チャレンジしただけでは、すぐに実感できないこともあると思います。
繰り返し体験していく中で、その魅力を理解でき、ようやく「天職」になることだってあるでしょう。
あるいは、「面白そう!」と、直感的に興味が湧いたことが、すぐに「天職」に直結することもあると思います。
いつも、好奇心のアンテナを張っておくことが大切なのでしょう。
4.みちょるびんの思うところ
好きなことでお金を稼ぐ。
そんな幸せなことはないと、みちょるびんは思っています。
「天職」と「適職」は一致しないものだと言われても、やっぱり、憧れがあります。
いずれにせよ、人生の大半の時間を占める仕事が、「適職」でないのだとしたら、人生の大半を、つらい気持ちで過ごすことになる、ということは言えそうです。
そうした場合は、「『’適職’探し』をまずはすべき」ということなのでしょうね。
あ、でも、「天職」を持つことで、「『適職』のストレスを上回る喜び」が得られるのであれば、そこでバランスをはかることができますね!
「’天職’探し」も、ないがしろにはできません。
時間という有限の中で、この二つの比重の調整をどうするかっということが、鍵となりそう。
ぬーっ!!!
以上、みちょるびんでした!