こんにちは、みちょるびんです。
(前回までのあらすじ)
入社して最初の数年は、一つの夢も実現し、何の疑問もなく、仕事に励んでいたみちょるびん。そんなある日、占いで「将来、商売を始める」「自分を抑制している」と告げられ、仕事に対し、違和感を感じ始めた。学生時代に熱中していた「演劇」に活路を見出し、カルチャースクールの演劇講座を受講。そこで出会ったつるさんに誘われ、新たにダンス教室に通うことになったのだが・・・。
【ある日のダンス日記】
今日の即興ダンスでは、何日か前に体験した「世の中、狭いもんだね」を表現してみた。
最近、職場で出会った短期のアルバイトさんたちと飲みに行ったのだが、話しているうちに、そのうちの一人が、実は私と同郷で、妹と同じ高校の同級生だったことが判明した。
しかも、妹の中学時代の友達を知っているということだった。
そのアルバイトさんと妹は、直接の面識はなかったが、私が知っている数少ない妹の中学時代の友達を、たまたま、そのアルバイトさんが知っていたという、なんとも不思議なご縁を感じる出来事だった。
こんなにたくさんの人がいる、この‘東京砂漠’で出会うなんてね。
結構な確率ではないか。
そんなわけで、「世の中、狭いもんだね」と、なったのだ。
今日の即興ダンスのテーマでは、この驚きと興奮を表現してみようと思ったわけ。
それで、曲が無音の時は、周囲の人の存在を気にしていない、‘マイペースな自分’という感じで踊り、曲が鳴っている時は、逆に周りの人にちょっかいを出して、その人たちのダンスを真似したりして、‘人と関わる’ということをやってみた。
私としては、踊っていて、結構面白かったし、「私‘一人だけのダンス’というより、示し合わせて踊るわけではない他の人との‘セットみたいな感覚のダンス’として見ると楽しいに違いない」、そんな風に、ちょっと自信があったのだ。
しかし、先生は、私のテーマだった「世の中、狭いもんだね」を「世の中、いいかもね」と言う風に聞き間違えてしまっていたようだった。
そのためか、「いつもの私らしさ(他の人と違う面白い動き)がなくて、つまらなかった」と言われた。
それにしても、私らしい動きってどんなものを言うのだろう?
面白かったと喜ばれる時って、瞬間的に出て来るものばかりで、狙ってやっていることではないのだ。
私自身、どんな風に踊ったのか覚えていないことも多々あり、再現できないという難しさがある。
つまるところ、自分でもコントロールができないことなのである。
今日みたいに、周りの人と関わりながらダンスをする場合は、もしかすると、多少、月並みなダンスになってしまうのかも知れない。
他の人に調子を合わせているところがあるしね。
そういえば、以前も、同じようなパターンで、同じような評価を受けたような気がする。
確かに、変な動きが出て来る時って、「自分」に専念して踊っていたかもしれないな。
今回私が目指したテーマと、先生が受け取ったテーマが異なっていたので、ピンと来ないものもあったが、そんな中で、先生の言葉に、なるほどと感心したものがあった。
「‘いいかもね’は、肯定的な意味合いとして受け取られがちだが、『誰にわからなくても‘いいかもね’』と独自の解釈で、振り付けても良い」と言う、発想の転換である。
これは、先生の、CMの振付作りに通じる考え方なのかも知れないと思った。
また、別のプロダンサーの子に先生が話していた、「試してみて、だからこそ、引き起こす、情熱」みたいなものも、理解できるような気がした。
先生の話を聞いていて、最近、私が書き始めた‘日記’のことを思い出した。
21歳の時に書いていた日記を棚の中に見つけて、それを読んでからというもの、日記が書きたくて、仕方なかった。
そして、ようやく書くものを用意して、書き出してからの数日間は、その‘書きたくて仕方なかった’という衝動が、何ページにもわたって、私に日記を書かせたのだった。
こんな風に、ダンス教室で即興ダンスを踊る度毎に、毎週毎週、感情の爆発を招くことは、大変なことに違いない。
だけど、「(誰にわからなくても)いいかもね」という開き直りみたいなものが、起爆剤になることもあるのかもしれない。
最近の私は、心の向くまま、徒然なるままに、曲に体を任せ、ある種の自然体だった。
もう少し、取り組み方を変えるといいのかもしれない。
要検討である。
以上、みちょるびんでした!