こんにちは、みちょるびんです。
(前回までのあらすじ)
入社して最初の数年は、一つの夢も実現し、何の疑問もなく、仕事に励んでいたみちょるびん。そんなある日、占いで「将来、商売を始める」「自分を抑制している」と告げられ、仕事に対し、違和感を感じ始めた。学生時代に熱中していた「演劇」に活路を見出し、カルチャースクールの演劇講座を受講。そこで出会ったつるさんに誘われ、新たにダンス教室に通うことになったのだが・・・。
1.やみぃ・やみ・やみ
「やみぃ・やみ・やみ」とは、みちょるびん造語。「Yummy(ヤミー)・闇・病み」と書く。
‘Yummy’は英語で、おいしいという意味。‘ヒトの不幸は密の味’との観点から、みちょるびんの嘆きの日記を「やみぃ・やみ・やみ日記」と命名。
自身と対比することで、「幸せを実感・感謝する」、あるいは、共感することで、「苦しんでいるのは自分だけではないという励まし・勇気」になれば、幸いです!
2.ある日のやみぃ・やみ・やみ日記
昨日の会社帰り、電車の中で、「宝石鑑別」の教科書を読もうと思ってバッグを開けて、ぎょっとした。
入っているはずの教科書がなかったのだ。
思い当たるのは1つ、昨日のランチで行ったレストラン。
それで、今朝、そのレストランに電話して、問い合わせた。
男の人が対応してくれたが、忘れ物の届けは出ていないと言われた。
それで粘って、教科書に印刷されていた学校の名前などを伝えて、ようやく、「ああ、それです!」ということになった。
危うく、「ない」ことにされるところだった。
「置き忘れたのは、あの時、あのレストランだ」という確信があったからこそ良かったが、そうでない場合、出て来なかったかも知れない。
今日のお昼も、誰とも約束がなく、一人だったので、早速、回収しに行った。
そこでも、別の店員さんに、「知らない」と言われ、危うかった。
全く、信用がおけない・・・。
それにしても、私はちっとも気持ちに余裕がない。
ただ、’ランチを一人で過ごす’ということさえも、声をかけてくれない同僚のことを恨んだりしているのだ。
狭い道を歩いている時、向い側からやって来る人に道を譲るのさえ、シャクだったりして。
何もかも、シャクに障る。
私はどうして、’無礼な扱い’を受けると腹が立つのか。
やはり、前世で、権力者として敬われていたせいなのか?
子供の頃、自分が’特別な存在’のような気がしていたのは、そのせいか?
それに、何故、私は、幸せではないのだろう。
こう言うと、怒られるか。
寝るところもあって、着るものもあり、食べるものにも不自由しないのだから。
「精神的に満たされない」という表現が適切か。
私は、それとも、前世で、やっぱり、’ワル’(悪)だったから、現世ではその罰を受けているのか?
いや、これが、一般的に言う「試練」というものなのか?
そういう時期なのだと、納得すべきなのか。
やっぱり、こうも長い間、暗雲の中を、どの方角に進んでいいのかわからずにさまよっていると、不安にもなるものである。
まずは、エネルギーが必要だ。
こういうネガティブな考えを跳ね飛ばす、強靭な心。
感謝する心・・・?
例のスピリチュアルカウンセラーが言っていたのは、「不平を言わない」ということも、クリアすべき課題であるらしいが。
あーあ。
このところ、ずっと、ため息ばかり。
「つまんないなー」と思う心。
それが一番、つまらないことなのに。
でも、私自身が変わらなければ、何も変わらないのだ。
何かを変えたい。
何を?
手始めにできることは何か?
以上、みちょるびんでした!