こんにちは、みちょるびんです。
今回は、第一次仕事イヤイヤ期について、お話ししたいと思います。
1.そんな風潮
就職して初めの数年間は、みちょるびんも、特に、疑問を持たずに仕事に励んでいました。正直なところ、その会社に入りたいという強い希望があったわけではなく、東京に出ることを第一の目的にしていたところがあったので、消去法で選んでしまったようなところがありました。
とは言え、入社したからには、それなりに、みちょるびんもがんばりました。
入社して、新たな目標ができ、それに向けて行動したし、新しいことを覚える喜びもあったように思います。しかし、今になって振り返ってみると、当時は、ぼろ雑巾のような働き方をしていたなと思います。
平成に入って、「24時間働けますか」というキャッチフレーズのテレビCMが流行りましたが、この言葉は、その時代のサラリーマンの働き方を象徴していました。実際に、同期の男子などは、よく「疲れ自慢」をしていました。いかにたくさん残業したか、徹夜したかということを自慢し合うんです。当時は、その仕事量で、がんばり度がはかられるというような風潮がありました。
さて、みちょるびんは、入社して目標に掲げていた一つの夢がかない、その後しばらくは、目の前にある仕事に集中して取り組みました。また、周囲の人たちが皆、スマートで頭がいい集団のように感じられていたので、気後れしてしまったみちょるびんは、自分も周囲に溶け込めるように、’かしこそう’に振る舞っていました。学生時代のみちょるびんは、クラブ活動の場などでは、他の人の意表を突くことに楽しみを見出し、独自の路線追求に情熱を注いでいたのですが、それとは裏腹に、就職後は、皆に習うよう努めたのでした。
2.欠かせないもの、それは。
そんな生活に、疑問符を投げかけたのは、やっぱり、「占い」なんですよね。
何人かの占い師さんから、「将来は、商売を始める」だとか、「自分を抑圧している」とか言われたんです。
「商売を始める」なぞ、考えてもみなかったことなので、初めはすごく驚いたのですが、でもなんだか、わくわくしたことを覚えています。
当時実家が自営業をしていたので、‘商売’そのものは、全く無縁なものではありませんでした。しかし実家は、コンビニの‘走り’みたいな、近所のお得意さんだけを相手にした、小さなお店だったので、将来性は全くなかったし、また、家業を継ぐとか、そういう考えは一切ありませんでした。ましてや、自分が商売を始めるなど、見当もつかないことでした。
それなのに、占い師さんの「商売を始める」という突拍子もない言葉が、キラキラしたものに感じられ、とてもわくわくしたんです。それって、そう思ってしまっている時点で、‘自分が歩むはずだったこれからのサラリーマン人生’が色褪せてしまったことを意味するんですよね、同時に。
そうなると、それまで気づかないでいた感情が、一気に、自覚症状として噴き出してくるというか。
「自分が抑圧されている」とか指摘されると、「おっしゃるとおり!」と合いの手を入れたくなってくるわけです。
そんなこんなでですね、今回も、「きっかけは占い」というお話で、お粗末様でございました。
以上、みちょるびんでした!