こんにちは、みちょるびんです。
【滞在3日目の日記】
昨日は、さすがに、なかなか寝られなかった。
体を横たえると、体を起こしていた時以上に、車両の揺れが感じられ、走行音もより大きく聞こえた。
また、時々、「物が壊れたのではないか!?」と驚いてしまうような、不自然な音が鳴り、「事故なのか!?」と一晩中、気が気ではなかったのだ。
そうやって、列車の夜が明けた。
7時半過ぎに起床。
外は少し、雨が降っていたようだ。
今日はずっと、旅行カバンを持ち運ばなければならないので、雨が止むのを願った。
シャワーを浴びない分、1時間半もあれば、支度は十分だと思っていたが、いつもと勝手が異なるため、案外手間取った。
第一、隣のお手洗いは、妙な若いお兄ちゃんたちに占領され、使う機会を窺うのも大変だったのだ。
お兄ちゃんたちは、トイレのドアを全開にし、上半身裸になって体を拭くなど、自由奔放に振る舞っていた。
そんなこともあり、洗顔は、まず、あぶらとり紙で、顔に浮いた油を除去し、その後、濡れタオルで拭くということをした。
それから今日は、日焼けの恐れもあることから、一応、しっかりと下地メイクを施した。
ただ、マスカラだけは、今日は控えることにした。
今夜の寝台列車では、メイクを落とさずに寝ることも想定されたためだ。
車掌さんが熱い紅茶を持って来てくれた。
とてもおいしい紅茶。
ほのかに甘かった。
たかだかティーバッグなのに、この違いは何だろう?
水のせい?
ロシアでは、紅茶が多く好まれていると聞くが、わかる気がした。
そうこうしているうちに、9時になり、ペトロザヴォーツクに到着。
駅で、まず、トイレを探した。
が、見つけることはできなかった。
ちょうどいた掃除のおばちゃんに、トイレの場所を訊いてみたが、私のあらゆる知識(「toilet」「washroom」「restroom」「bathroom」「ladies’ room」「WC」・・・)を持ってしても、一切、伝わらなかった。
思っていた以上に、ロシアは手強いと思った。
文字が読めないのは、やはり、致命的。
本当に、ドアを開けて、部屋の中を覗いてみても、そこが何部屋なのか、わからないのだから困る。
仕方がないので、とりあえず、キジー島へ渡るための船着き場を目指すことにした。
「地球の歩き方」の地図を頼りに、試行錯誤した。
一度、見当違いの道を歩いていたが、すぐに修正、とにかく、オネガ湖の方向を目指した。
船が見えてきて、ようやくチケット売り場に到着した時は、1時間が経っていた。
荷物を抱え、ずっと歩き通しだったので、疲れた。
早速窓口へ行き、キジー島の切符を注文。
窓口の女性は英語をしゃべらなかったが、私たちが、キジー行の切符を求めているということはわかったらしい。
しかし、今日のチケットは完売し、明日分しかないと言う。
ショック。
こういうことも、ある程度予想はしていたものの、どこか私は、「きっと、大丈夫!」と、甘く考えていたところがあった。
しつこく、おばさんに質問していると、これでは埒が明かないと思ったのか、英語を話せる若いきれいなお姉さんを呼んでくれた。
お姉さんの話では、チケットはあるにはあるが、往路は18時ペトロザヴォーツク発、復路はキジー20時半発のチケットのみということだった。
私たちは一旦、トイレ休憩を挟みながら、どうするかを相談した。
キジーへの所要時間は、片道、約1時間20分。
ここの出発が18時だから、キジー到着は、19時半頃となり、キジーには1時間しかいられないということになる。
でも、とりあえず、教会は見られる時間であろうと話し合った。
また、復路の船の到着予定時刻は21時45分であった。
夜行列車の発車時刻が23時だから、その間、約1時間。
我々のこの乏しいコミュニケーション能力では、電話でタクシーを呼ぶというような芸当は、当然できないので、駅までの移動は、徒歩に頼るしかない。
来るときは、迷いながら、1時間かかっていた。
窓口のお姉さんの話では、「40分で、駅まで行けるのではないか」ということだった。
「たまに、テクニカルトラブルで船の出発が遅れることがあるが、通常はない」と。
それに賭けた―――。
私たちは、とうとう切符を手に入れた。
荷物は、18時までなら預かってくれると言うので、チケット売り場に荷物を預け、腹ごしらえすることにした。
時間はたっぷりあるのだ。
結局、この辺りでは、チケット売り場の中に併設された食堂が、しっかり食べられる唯一のレストランのようだった。
私たちは「地球の歩き方」を指差しながら、魚のスープと露子と食べた’いくら’のパンケーキ(ブリヌイ)、モルス(赤いジュース)、紅茶の注文に成功した。
そうやってありついた食事は、格別においしかった。
ウェイトレスのお姉さんとも、いいコミュニケーションができて楽しかった。
ゆっくり食べても14時。
まだまだ時間があった。
私たちが、湖畔を散歩していると、男性の似顔絵師が看板を出していた。
面白そうなので、友子が、人生初の、似顔絵を描いてもらうことにした。
私は以前、「この人だったら、かわいく描いてもらえるかも!」と期待した、とても愛らしい赤ちゃんの似顔絵を描いていた似顔絵師に、自分の似顔絵を依頼したことがあった。
だが、出来上がった絵が、’爬虫類’顔で落胆したという苦い経験があったので、今回は遠慮した。
私も普段、「デッサン会」に参加する等して、人物画を描いている。
だから、そのロシア人の絵描きさんがどんな風に似顔絵を描くのか、その腕前に、興味津々であった。
しかし、何だか、ユニークな描き方だった。
’髪の毛フェチ’なのか、髪の毛から描き始め、顔に取り掛かる前に、髪の毛を先に完成させていた。
独特・・・。
それに、出来上がるまでに、1時間半くらいかかっていた。
さすがにちょっと、時間がかかりすぎ!
でもまぁ、時間は、いくらでもあるのだけどね。
これも、いい思い出だ。
私たちの持ち合わせが、500ルーブル札しかなかったため、釣銭作りのため、絵描きの連れ合いの女性に、両替に連れて行かれた。
それが、結構遠くにある出店だったので、参った。
それで、気になっていた、出店の肉の串焼きをチャレンジ。
その後、思い立って、「カレリア美術館」に行ってみる等した。
残念なことに、美術館は、今日は休館日だったので、代わりに、近くのデパートで、ロシア語で書かれたムーミンの絵本をゲットした。
また、復路の、駅までの近道を下調べすることができて、それも収穫だった。
そして、いよいよ本題のキジー島へ!
預けていた荷物を窓口で引き取り、船着き場に移動した。
昼に下見していた場所には、既に、人が集まっていた。
しかし、昼間の時は、出発の20~30分前には船が到着していたのに、一度来たと思ったら、またすぐにどこかへ行ってしまったのだった。
一抹の不安・・・。
そもそも、時間がないのだ。
出発時刻である18時の5分位前になって、自分たちが待っていた乗り場は、キジー行きではないということが発覚。
あわてて、隣の乗り場へ。
危ないところだった・・・。
無事に、正しい船に乗り込んでからも、その船がキジーへの直行便だと思い込んでいたので、1時間くらい行ったところで寄港した港で、危うく下船しそうになった。
そうやって、ようやく、何とか、キジーに到着した。
私たちは、写真を撮りまくりながら、目的のプレオブラジェンスカヤ教会に向かった。
あいにく、20時に教会群の囲いが閉まってしまったので、建物の近くまでは行くことができなかったのだが、周りを1周して、360度、写真に収めた。
結局、キジーでの滞在は、教会の写真を撮るだけという感じになったが、それでも大満足。
駆け足でまた、船着き場に戻った。
高速船でペトロザヴォーツクに戻って来たのは、22時10分頃。
予定を大幅に過ぎていた。
23時発の列車は、絶対に逃せない。
友子は少しナーバスになっていたようだ。
駅まで、とにかく、早く、早く、歩いた。
荷物が肩深くくいこんで、痛かった。
友子は、朝に来た道を戻らなかったことが、とても不安だったようだ。
しかし、私は、「地球の歩き方」を信じたいと思ったし、「地球の歩き方」通りなら、問題ないと思っていた。
早歩きで、それでも40分近くは歩いていたようだ。
さすがに汗だくになった。
駅に到着してみると、私たちが乗る予定の列車は、既に停車しており、問題なく、乗り込むことができた。
売店でジュースを買って、発車の10分前だっただろうか。
今回のロシア旅行の、一番のハイライト、友子と二人だけのキジーへの大冒険が、幕を閉じようとしていた。
列車にさえ乗り込みさえすれば、あとはこの列車が、私たちを、サンクトペテルブルクまで運んでくれる。
そして、そのサンクトペテルブルクでは、ガイドに運転手、5つ星ホテルと、申し分のないステイが待っている。
私たちは、早々に寝る準備をして、明日に備えることにした。
明日の午後、ホテルの部屋が利用できる時間まで、体力勝負なのだから!
以上、みちょるびんでした!