こんにちは、みちょるびんです。
最近、日本に一時帰国していた同僚から、日本の様子を聞いて、驚いたことがあります。
日本の職場では、同僚と連れ立って食事に出かけることが禁止されており、「黙食」が奨励されているとのこと。
だから、たとえ久しぶりの再会であっても、日本の同僚とゆっくり食事して、交流する機会は得られなかったということでした。
人と良好な関係を築くにあたり、コミュニケーションは大切です。
そして食事は、そのコミュニケーションを円滑にし、人との心理的距離を縮める最も簡単で有効な方法であるということは、誰しもが体験して、知っていることだと思います。
その食事の場でのコミュニケーション=会話が、日本の職場で禁止されていると聞いて、少し、ショックに思いました。
職務内容にもよるとは思いますが、多くの仕事は、(間接的であったとしても)人を相手にしているものだと思いますし、仕事における成果や利益は、人的交流の中で得られるものがほとんどのように思います。
もちろん、ビジネスシーンにおけるコミュニケーションは、会食ばかりではありませんが、それでも、大切な役割を担っているということは確かだと思います。
そして、日常の食事(ランチ)の場においても、身近なところでの人脈形成は行われていると言うのに、そこにも「黙食」が奨励され、コミュニケーションが制限されているということが、みちょるびん的にはショックなんです。
無用なリスクは最小限に止めようということではあるんでしょうけど、逆に言うと、それだけ、ウィルスの脅威が大きいということの表れでもあるんですよね・・・。
もちろん、当地(海外)でも、ウィルス対策は行われており、ベーシックなところは、日本と同じだと思います。
感染状況によっては、過去、食事の際の人数制限等が設けられたこともありました。
しかし、「黙食」は、ありません。
現在、レストランを利用する場合、室内であれば、陰性証明の提示が求められますが、室外であれば、そのような制約はなく、誰もが利用可能です。
夏になって、規制が緩み、テラス席で、楽しそうにおしゃべりしている人々の姿を多く見かけるようになりました。
日本には、テラス席を構えているお店自体があまりありませんし、そういった食事環境の違いも大きいとは思いますが、きっと、こちらの人には、「黙食」という概念もないのではないかという風に思います。
そもそも、みちょるびん自身も、「黙食」という言葉を、初めて聞きました。
みちょるびんが持っている国語辞典(「福武国語辞典」1989年9月1日初版)で調べてみたのですが、やはり、載っていませんでしたよ!
それで、ネットを調べてみたところ、元は、仏教に古くからある概念ということのようでした。
禅宗などの修行道場では、坐禅堂・風呂・トイレにおいて私語が禁じられており、食事はその坐禅堂で行うため、必然的に黙って食事=黙食となるということだそうです。
また、今年の1月頃から、ウィルス感染拡大防止策の一つとして、「黙食」が広まったということのようです。
なかなかね、日本で生活していないと、わからないことです。
みちょるびんは、一人暮らしをしていますし、基本的に、食事は一人で行います。
それは、慣れっこではありますが、でも、だからこそ、やっぱり、人と一緒に、人が作ってくれた料理を食べると、格別においしく感じます。
ずっと、長い間がまんを強いられ、そういった機会が久しぶりに得られれば、うれしいし、楽しいし、饒舌にもなります。
こういった時間は、精神的な健康の維持にも、大切なのだということに気づかされます。
だけど、このとてもシンプルな行為が、生命を脅かすことになるかも知れないのだから、今更ながら、本当に、悲しい。
ウィルス感染のリスクは、対策を怠った食事時に一気に上がる印象がありますし、「黙食」はやはり、有効な手段なのだろうと思いました。
当地にはない「黙食」の概念ですが、みちょるびんも、気にかけるようにしたいと思います。
以上、みちょるびんでした!