こんにちは、みちょるびんです♪
ローマン・バスは、ローマ時代に建設された公共浴場の遺跡で、現在は博物館になっています。
2000年前にローマ人の温泉場として栄えていたバースの街は、5世紀頃にローマ人の撤退とともに衰退し、温泉施設も荒廃と化しました。
しかし18世紀のジョージ王朝時代に飲泉ブームが起こり、上流階級の保養地として再び賑わいを取り戻しました。
このローマン・バスは、その頃にローマン・リバイバル様式で再建されたものになるそうです。
だけど、水源や浴槽群・水路システム等はローマ時代のものが引き継がれたのだとか☆
ローマ時代には、浴場の横に、スリス・ミネルヴァ神殿が建っていました。
もともとは、先住民であったケルト人が女神スリスを祀っていたそうですが、その後やってきたローマ人がローマの女神ミネルヴァと同一視するようになり、女神スリス・ミネルヴァに融合したのだそうです。
女神スリスは、太陽(Solar)と豊饒の神で、名前の由来はケルト語の「太陽」と「目」を意味する‘Sul’(スル)と、知恵を意味する‘Suilead’(スイリード)から派生したものだそうで、また、癒しの水の女神でもあるそうです。
一方、ミネルヴァは知恵や戦争の女神なのだとか。
神殿の4本の柱は、ゴルゴンの頭をモチーフにしたペディメントを支えていたのだそうで、そのペディメントは博物館に展示されていました。
目をカッと見開いて、四方に広がる髪の毛が豪快なゴルゴンはみちょるびんのお気に入り♪
このゴルゴンは、ケルトの女神スリスの顕現であるとも言われているそうです。
そして、ペディメントの彫刻にあるフクロウとイルカは、ミネルヴァを象徴しているとのこと。
このことは、2つの文化の完璧な融合を示しており、女神スリス・ミネルヴァに捧げられた神殿にふさわしいセンターピースと言われています。
遺跡からは、宝飾品、数千枚のコインなどが多く出土されており、女神スリス・ミネルヴァへの捧げ物も含まれるとのこと。
当時は、鉛やピューターの小さなシートに個人的な祈りを刻み、丸めたものを女神スリス・ミネルヴァの霊が宿ると信じられていた泉に投げ込むという風習があったそうです。
そのほとんどは不当な扱いを受けた人々からのもので、不正を正して復讐するよう求めた内容だったのだとか。
例えば、「ドシメディスは手袋を2つなくしました。 彼はそれを盗んだ者が、女神が指定する神殿で精神と目を失うようお願いする」というような内容が綴られてあったのだそう。
この「Curse tablets」(呪いの石板)と呼ばれる、恨みつらみや呪いが書かれたものは世界的にも珍しいものなのだそうで、ユネスコの記憶遺産として登録されているのだそうです。
なかなか興味深い。
それから、みちょるびんがちょっと面白く感じたのは、発見された人骨の調査報告。
浴場を訪れる人々は、人種も職業もさまざまで、聖職者や身分の高い貴族、旅行者、肉体労働者、そして奴隷もいたと言われていますが、どういった人物かを特定する上で、その人の虫歯が一つの決め手になっていました。
当時、甘いはちみつを食せるのは裕福なひとたちだけ。
従って、虫歯のあるこの人物は、裕福であったに違いないということです☆
宝石好きのみちょるびんとしては、ローマ時代の排水路で発見されたという指輪にセットされていたという宝石――インタリオ――も見逃せませんでした。
インタリオとは宝石などに沈み彫りが施されたもので、動物や人の顔などをかたどった装飾品のほか、手紙等の封蝋に押しつけ、反転した形状を転写する目的で使われていたものをいいます。
女神スリス・ミネルヴァへ感謝の気持ちを抱いた宝石商や宝石加工業者が泉に投げ込んだのかも知れないし、温泉で泳いでいた入浴者の指輪から熱いお湯のせいでたまたま外れたものなのかも知れないということです。
気づいたら指輪の石がなくなっていたとなるとショックだし、みちょるびんならそれこそ、‘呪いの石板’を泉に投げ込みたくなるかも!
ローマン・バスでは日本語のオーディオガイドもあるので、じっくり古代ローマ人が作った温泉施設について学ぶことができます。
みちょるびんは、結構まじめに、1つ1つ解説を聞いていたので、1時間半くらいかかってしまいました。
それでも、最後の方は、ホテルに予約していたマッサージの時間のことが気になって、一部切り上げた感じだったので、全うしていたら2時間はかかっていたかもしれません!
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!