こんにちは、みちょるびんです。
【ある日の日記】
それにしても、今週は素晴らしかった。
毎晩、遅くまで残業し、今日だって、こんなに、猛烈に働いたが、ちっとも、体がきつくなかったのだ。
もちろん、きつくはあるのだが、それは、当然の’きつさ’。
あの全身の力が抜けるような、立っていられないような、不自然な疲労感ではないのだ。
これが、本来の、正当な姿なのではないか、そう思った。
本当に不思議である。
何がどうなっていたのか。
いや、これでもう終止符が打たれたということではなく、今も、進行形なのかも知れないし、油断は禁物なのだろうが。
しかし、2、3週間前に比べると、確実に、内側から湧いてくるエネルギーを感じるのだ。
これは、厄を抜け出そうとしているからか。
それとも―――。
そう、それとも、何だ!?
実は、私は、妙な仮説を考えたりしていたのだ。
何故こんなにまで、具合が悪かったのか。
それは実は、誰かに恨まれていて、呪いをかけられていたからだとは考えられないか、と。
実際、ばかばかしい話ではあるのだが、ものごとは、あらゆる方面から検証すべきではないか。
’呪い’は、非科学的とはいえ、私の’異様なほどの具合の悪さ’だって、非科学的と言えるのではないか。
なぜなら、赤目(結膜下出血)が頻繁に続き、(精密検査ということまでは確かにしていないが)血液検査はクリアーして、健康上の深刻な問題は認められなかったのだから。
最近テレビで、「Mの悲劇」というドラマをやっていて、どこでどう他人に恨まれているか知れない、というストーリーだった。
それでちょっと、考えてみたのだ。
私は、恋愛が絡むと、平常心でいられなくなるところがある。
不器用ということで、自分を正当化するつもりはないが、私は、感情をコントロールできない未熟者であるが故に、嫉妬して、友好的な態度をとれなくなってしまうのだ。
「恋の勝利者」になれないばかりか、かえって好きな相手にまで距離を置かれてしまうことすらあり、恋愛が、大変後味の悪いものになってしまうのである。
そういう調子で、これまで、良好だった友好関係を、自ら壊してしまったこと、数知れず・・・。
だから、恨みを買うということについて、思い当たらないわけではないのだ。
いや、きっと、’あの人’から、恨まれていても仕方がない―――とも、思う・・・。
’その人’の置かれている状況がつらいときほど、私が愉快そうにしている様子は、面白くないだろうし、積もり積もって、怒りが増幅することだってあるかもしれない。
違うだろうか。
そんなことを少し、考えてみたのだった。
「呪いをかけた者は、その呪いを知られてしまったら、それが自分に返ってくる」と聞く。
私は、’その人物’に対して、’呪い返し’をするつもりは毛頭ないが、かと言って、このまま安々と、呪いを受け入れるわけにはいかない。
開き直るわけではないが、私なりに、自分の愚行を恥じ、自責の念に苛まれてきたのだ。
だから、呪いは、勘弁である。
この仮説が当たっていたのか、単に偶然か、とりあえず、今は、体の調子は戻ったようだ。
最も、内科の先生に言われたように、引き続き、睡眠は、十分にとる必要はあるのだろうと思っているが。
以上、みちょるびんでした!