こんにちは、みちょるびんです。
【ある日の仕事飯(日記)】
今日は、仕事関係で、打ち合わせを兼ねた夕食会があった。
上司と先輩の3人で出席した。
関係者に会うのは、半年ぶりだった。
私は、人の顔を覚えるのが苦手なので、ちょっと心配に思ったが、私の向かいに座ったご高齢のK氏とは、顔見知りだったので、良かったと思った。
だが、K氏の方は、私には、全くご関心をお持ちでないようだった。
K氏の関心事項は、上司や先輩の持つ専門分野に関するもので、会食中、上司や先輩にばかり話しかけられ、私の存在は、まるで無視といった具合だった。
一緒に食事をしていて、非常に不愉快だった。
先輩もその状況に気づいたようで、私に気を遣ってくれているがわかったが、私はとにかく不快に思った。
正直、軽視されているように感じられた。
私には、これといった専門性がないから、K氏は、話をするに値しないと思っておられるのだろうか。
確かに、K氏が話題にされていたことは、私にとっての苦手分野だったし、その専門的知識はない。
でも、私だって、先輩や上司と一緒に仕事しているのだ。
至らない点もあるが、それなりに仕事はこなしているという自負がある。
こういう高齢者は、昔のままのエリート意識がお強いのだろうか。
そして、私のような者は、小間使いくらいにしか考えていらっしゃらないのだろうか。
だから、無視なのか。
私と同じ職種の先輩が、表に出たがらない気持ちがわかるような気がした。
【その翌日の日記】
今日は、会議があり、出席した。
ところで、K氏は、妙に言葉に対するこだわりをお持ちで、細かいところを気にされているという印象があった。
それに対し、同じご高齢であっても、E氏は、人に対して公平で、リーダーシップもおありであるという印象があった。
私は昨日の夕食会のこともあり、E氏のことを少しひいき目に見ていた。
会議の後、大学生と話をする機会があった。
その学生は、K氏の著書を読んだのだそうで、その中にあった「道は必ず開ける」という言葉に勇気づけられたと話していた。
そういえば、K氏は、大学で教鞭をとっていらっしゃると聞いていた。
おそらく、K氏は、’勉強する人’が、お好きなのだろう。
自分自身も、勉強家でいらっしゃるのと同じように。
そして努力家でもいらっしゃるに違いない。
何となく、K氏が私に関心を示されなかったのが理解できたような気がした。
K氏は、私のことを軽視していると言うよりも、むしろ、純粋に、’何かに特化した専門的知識を有する人’に興味をお持ちなのだ。
ここで納得してしまう自分も情けないが、仕方あるまい。
だって、私に自慢できるような専門性がないのは、事実なのだから。
でも、やはり、ここで引き下がってはいけないのだ。
私もがんばらないと。
例えば、語学なんかも身につけたい、やっぱり。
以上、みちょるびんでした!