こんにちは、みちょるびんです♪
鹿児島旅行2日目(6)。
お風呂に入りに行った母・マミーと別れ(「鹿児島旅行!(16.冷やす。)」)、みちょるびんは一人、ホテルの廊下に展示された写真や調度品、設けられた資料館などを見学した。
ホテルの説明によると、江戸時代の「諸国温泉効能鑑」と題する番付表には、「薩摩霧島湯」が「うちみに良し」として西方の前頭6番目に、「万能に良し」として「薩摩硫黄湯」が13枚目に付出されていたらしい。
この場合、「薩摩霧島湯」は明ばん温泉を、また「薩摩硫黄湯」とは硫黄谷温泉のことを指しているのだそうで、現在、双方ともが30万坪もあると言われるこのホテルの敷地内にあり、自慢の「硫黄谷庭園大浴場」に引かれているんだとか。
硫黄谷温泉は1714年に発見されて以来、湯治場として近郷の人々に愛用されてきたが、明治維新後に交通機関が発達してからというもの、本格的温泉宿として名前を、このホテルの前身となる「霧島館」と変え、九州一の隆盛を誇るに至ったとのこと。
犬養毅などの政治家や斎藤茂吉、与謝野晶子などの文人、藤田嗣治などの画人が宿泊したらしい。
こういった著名人が残していった書だとか画だとかが以前はたくさん館内に展示されていたそうだが、1949年(昭和24年)8月に起きた台風による山崩れで、全てが流されてしまったのだと、展示されていた新聞記事で読んだ。
実は、坂本龍馬もこの「霧島館」に宿泊した一人。
京都伏見寺田屋事件で負った傷を癒やすため、慶応2年(1866年)3月に龍馬は妻のおりょうとともに宿泊した記録が残っているのだそうだ。
日本初のハネムーンと言われている旅の時で、坂本夫妻は念願の高千穂山に登り、おびただしい霧島ツツジに感動、そして霧島神宮を参拝し、御神木の樹齢千年近い大杉を見て過ごしたとのこと。
怪我で痛い思いをし(「鹿児島旅行!(14.負傷!)」)、温泉に入れなかったのは残念だったけど、その代りに、このホテルの前身となる「霧島館」をはじめとした霧島の歴史を知ることができるいい機会になったので良かったと思った。
マミーの帰りを待ちながら、45分くらいじっくり見学していたが、一向にマミーが戻らないので、先に部屋に戻ることにした。
その前に、お土産の調査のため売店にも立ち寄った。
みちょるびんの関心を引いたのは、きびなごを使った商品。
売店のおばちゃんに訊いたところ、錦江湾で捕れる魚の一つとしてきびなは有名なんだそう。
ネットでもきびなご料理は、鹿児島の郷土料理として紹介されていた。
きびなごは体長10cmほどの小ぶりで細身なニシン科の魚で、身体の表面に銀色の帯が走っていることが特徴。
きびなご自体、きれいな海でしか生きれない繊細な魚なんだそうだが、鮮度も落ちやすいので、漁師たちは細心の注意を払って漁をし、港に運ぶんだとか。
おばちゃんが子供の頃は、錦江湾はきびなごでキラキラと銀色に輝いていたんだと、懐かしそうに話してくれた。
長崎の実家に住んでいた頃、きびなごがみちょるびん家の食卓にものぼったことがあった。
酢醤油で食べる刺身はとても美味しかった。
そういえば、先日の忘年会で九州料理の店に行き、きびなごの刺身を食べたことを思い出した。
10年くらい海外暮らしをしていたこともあり、年十年ぶりに食べたので感動したのだった。
そんなきびなごが、オイル漬けや佃煮になっていたのは見逃せない。
マミーにも報告しなければ!
実は、みちょるびん、観光案内のバウチャーで見た「鯛車」という信仰玩具がかわいくて、気になっていたんだけど、ついに出会うことがなかった・・・(- - ☆)。
赤と黄色という鮮やかな色彩とは対照的に、素朴なデザインに愛嬌があって、霧島市にある鹿児島神宮にまつわる神話に出てくる鯛・赤女魚(あかめ)がモデルとなっているんだとか。
残念っ!
部屋に戻って待っていると、出かけてから1時間くらい経った頃に、無事にマミーが帰って来た。
大丈夫だったか?と訊いたら、ウォーターサーバーのところで少し苦戦したらしいが、近くにいた人に親切に教わって、給水も成功したんだそう。
ホッとした。
その後、夕食会場に向かった。
外出から戻って来た時に、フロントで夕飯の時間を伝えられたが、その際、当初18時に設定されていたものを19時に変更してもらった経緯があった。
それだのに、どうもこのホテルは情報共有がうまくできていないようで、18時に督促の電話がかかってくるなどしたのだった。
その日は大晦日だったし、もしかするとホテルの従業員も早く仕事を切り上げて帰宅したいから、早く夕飯を終えてほしいという希望があるのかも知れないとも思った。
夕飯は、前夜同様に腹いっぱい食べた。
どうやら特別アレンジで、年越しそばをお出ししましょうか?と提案していただき、とてもありがたかったのだが、締めのごはんと味噌汁ですら食べられないといった状況の時だったので、丁重にお断りした。
部屋に帰ったら、布団が敷いてあった。
布団に寝っ転がりながら、紅白歌合戦を観た。
実家に帰ると紅白歌合戦を観て過ごすということが、恒例となっているのだ。
途中、居眠りしてしまったが、気になる勝利の行方――白組が優勝したことは確認できたので良かった。
マミーは就寝していたが、「ゆく年 くる年」が始まったくらいのタイミングで目を覚ましたので、年が明けると同時に、2人で新年のあいさつを交わした。
みちょるびんはここ2~3年、怪我が絶えず、気分的に落ち込むことが多くて引きこもりがちだった。
でも最近、少しずつやる気がみなぎってきた感があるので(「今年もよろしくお願いします!」)、2026年はもっと活動的な年にしたいと思った。
その後、すぐに布団に入った。
今夜は、マミー、悪いが暖房は切らせてもらうよ?(「鹿児島旅行!(12.朝の時間。)」)。
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!


