こんにちは、みちょるびんです。
(前回までのあらすじ)
入社して最初の数年は、一つの夢も実現し、何の疑問もなく、仕事に励んでいたみちょるびん。そんなある日、占いで「将来、商売を始める」「自分を抑制している」と告げられ、仕事に対し、違和感を感じ始めた。学生時代に熱中していた「演劇」に活路を見出し、カルチャースクールの演劇講座を受講。そこで出会ったつるさんに誘われ、新たにダンス教室に通うことになったのだが・・・。
1.やみぃ・やみ・やみ
「やみぃ・やみ・やみ」とは、みちょるびん造語。「Yummy(ヤミー)・闇・病み」と書く。
‘Yummy’は英語で、おいしいという意味。‘ヒトの不幸は密の味’との観点から、みちょるびんの嘆きの日記を「やみぃ・やみ・やみ日記」と命名。
ご自身と対比することで、「幸せを実感・感謝する」、あるいは、共感することで、「苦しんでいるのは自分だけではないという励まし・勇気」になれば、幸いです!
2.ある日の「やみぃ・やみ・やみ日記」2
今日は、遅めではあったが、いつものように起きて支度をし、出かけた。行きたくないのはやまやまだったが、こう何日も仕事を休んでいられないと思ったのだ。
外は小雨が降っていた。
お気に入りの黄緑色の折り畳み傘をさして駅に向かった。
前の電車はちょうど行ってしまったばかりで、次の電車を待つしかなかった。所定の場所で電車を待った。
私は気分を引き締めようと「宝石鑑別」の教科書をトートバッグから取り出して、バッグのジップを閉めた。
戦闘態勢。
教科書を安心して読めるように、バッグを網棚に乗せられるように、電車に乗り込んだら、すぐに、安定した立ち位置を確保しなければならないのだ。
電車が入ってくるアナウンスが流れた。
突風が吹き、顔を突風からそむけた。
と、黄緑色の小さいものがふわふわ舞って、ホームの線路に落ちて行くのが、私の視野の中に入った。
考えられないことだったが、私の折り畳み傘のカバーによく似ていた。
カバーは、バッグの中であり、ジップも閉めたので、それが勝手にひらひら飛んで行くはずはないのだ。
私は、違うに決まっていると思いながら、白線の内側に寄って、線路の中をのぞいてみた。
それは4~5メートル離れたところに落ちていた。色といい、形といい、私のカバーだと思った。
いよいよ、左手から電車が入ってくるのが見えた。
私はもう一度、線路上の黄緑色を確認して、一歩後ろにさがった。
電車のドアが開き、私の後ろで列を作っていた人たちが、次々に私を追い越して電車に乗り込んで行った。私はヒトの視線を感じ、素知らぬ顔をして、対向車ホームの方を向いた。ちょっと恥ずかしかった。
その電車が行ってしまったあと、もう一度線路をのぞきこむと、カバーはそのまま落ちていた。良かった、電車に引かれはしなかったようだ。実はそれが心配だった。
私は急いで改札窓口に上がり、駅員さんに声をかけた。
窓口の人が他の係員を呼び、長い柄のついたハンドを持った駅員さんがやって来た。彼は次の電車の入構を気にしている様子で、足早に階段を下りて、ホームに立った。
私は、場所を示し、駅員さんは、一発でカバーを仕留めた。
私は駅員さんに礼を言った。
電車に乗らなかったときと同様に、ヒトの視線を感じ、恥ずかしさでちょっと顔がゆるんでしまった。
ヒトは何を落としたのかと思うだろうか。
折り畳み傘のカバーごときでは、普通、駅員を呼ばないだろうか?
忙しい朝に電車を一本あきらめたりはしないだろうか?
どうなんだろう?
次の電車だと、完全なる遅刻。
カバーが飛ばされて、線路に落ちたのも、何かの導きというか。こんなことはめったにない。バッグに入れたはずのカバーが、電車が入ってくる直前に舞っていったのだから。
私の足を止めたのだから。
だから、私は、そのままくるりと体をひるがえし、エスカレーターに乗った。
休むことにした。
せっかく化粧をし、着替えもしていたので、このままどこかに出かけようかとも思ったが、やめた。お金があまりなかったことを思い出したのだ。
そういえば今朝、出がけに見た‘ぬいぐるみたん’は、妙にご機嫌で、笑っていた。ぬいぐるみたんは、私が家に戻ってくることを予感していたのだろうか・・・?
職場に電話し、体調不良を告げた。‘心’調不良が正しいが。少し、気が楽になった。
その後、キッチンの流しを掃除したせいか、料理したせいか、読みたかった本を読んだせいか、窓を開けて換気をしたせいか、何だか気分が明るくなってきた。
ぬいぐるみたんが笑顔だった理由は、このことか?
私は、また一日休んでしまったが、今日は休んでよかったと思った。この2、3日、私は明らかに気分が落ち込み、ネガティブな思考だった。弱っていたと思う。だから、休んで正解だったのだと思う。今は、エネルギーが回復しているように感じられるのだから。
以前、手相を見てもらったときに、私の一番の欠点は、情緒不安定なところと言われたことがあったのを思い出した。おそらく、そうなのだろう。自分の感情に振り回されて、自分自身が疲れるのだ。
気分が急に滅入ったり、その反面、人一倍ハッピーな気分も味わうことがあるのではないか。きっと、そういう感受性が豊かなところが、ダンスや宝石などの芸術方面では活きてくるのではないか。
私の場合、今のところ、さほど “不幸という不幸”には見舞われていないが、自分自身の感情が一番のネックになっている。しかし、この神経質さやナイーブさが、あるいは、うまく美意識に作用しているのかもしれない。
そう、これは、私の大きな欠点でもあるが、実は裏を返せば、一番の魅力ともなる点なのかも知れない。
だから、あんまり、職場のかしこ集団(みちょるびん造語、賢そうな集団)の中で、ものわかりのいいような顔(ふり)をしなくてもいいのかもしれない。
3.感想
もう、これは、時効ってことで、お許しください!!
職場の人に心配、迷惑をかけていて、「ごめんなさい!」です。
「甘えてる!」って言われそうですが、でも、あのときのみちょるびんは、本当につらかったんです―――。
自分を許すということも、時には、大切ですよねっ! ねっっ!?
みちょるびんは、幸い、深刻なことにはなりませんでしたが、中には、追い詰められて、自分を傷つけてしまう人もいると思います。
そう考えると、「出勤しない」ことくらい、取るに足らないことです。有効な手段だと思います。
とは、言え、「情緒不安定」と「感受性豊か」は、別物。
若みちょるびん、ちょっと、はき違えていますよねぇ。ま、本人も、前向きな気持ちになれたようなので、‘勘違い’もたまには必要ってことです、はい。
以上、みちょるびんでした!