こんにちは、みちょるびんです。
「キューケンホフ公園」を出発したのが13時過ぎ。
元来た道をたどり、スキポール空港に戻りました。
前日にみちょるびんが宿泊したのは、空港直結のホテルだったので、14時半にはホテルに戻っていたと思います。
その後は、家に帰るだけ。
フライトのボーディングタイムまで、まだ1時間半くらいの時間がありました。
自宅に到着するのは22:30頃になることが予定されていたので、それまでにお腹が空くだろう。
飛行機の乗り継ぎに余裕はないので、夕飯を食べている時間はない。
夕飯と呼ぶにはだいぶ早いですが、フライト前に軽くホテルで食事してから出発することにしました。
その前に、携帯電話のバッテリー残量がかなり少なくなっていたので充電を。
預け荷物の中のコードが必要になったので、先に預け荷物を引き取りました。
「キューケンホフ公園」では、カメラと携帯電話を駆使して、花々を激写していました。
その途中でカメラのバッテリー残量が少なくなり、持参していた携帯用バッテリーは、カメラの充電に充当。
その時はそれで問題ないと思っていましたが、考えてみると、飛行機搭乗の際に必要となるボーディングパスは携帯電話の中。
復路のチェックイン手続きは、旅の途中で行っていたため、ボーディングパスを印刷できる状況にありませんでした。
もちろん、空港のチェックインカウンターに行けばボーディングパスを発券してもらえるでしょうが、それだけのために早く空港に出かけ、列に並ぶことは何としても避けたい!
というわけで、しばし充電タイム。
電源コンセントのすぐ傍にあったテーブルを陣取って休憩しました。
あとでわかったのは、ホテルの軽食レストランにもコンセントがあったということ。
最初からそこに移動していれば、もう少しゆっくりできたのになぁと思いました。
それにしても、やっぱりホテルでの食事代は高い。
前日の夜も、ホテルで食事をしていました。
ホールンからアムステルダムへの移動のために、1時間以上もバスに待たされたし(「春爛漫♪ オランダ旅行!(20)」)、ようやくホテルに到着した時は既に19:30を回っていた。
中継地のアムステルダムで食事するという選択もあったのでしょうが、バスの一件で疲れていたし、そんな元気は残っていなかった・・・。
そんなこともあり、ホテルのレストランで夕飯を済ませたのでした。
わかっちゃいたけど、やっぱりお高かった☆
宿泊したのは空港直結ホテルでしたし、料金が高くなってしまうとことは仕方がないことね・・・。
でも、空港に到着してから、また更にシャトルバスを乗り継いで移動するというその長い行程を考えると、今回は、多少高くても直結にしておいて良かったと思っています!
帰りのフライトは、乗り継ぎに余裕がなく、広い空港を小走りで大移動することになり、また疲れましたが、無事に帰って来れたことに感謝しよう。
実は、行きのフライトの乗り継ぎ便では、飛行機にすぐに乗せてもらえないという事態が起こっていました。
機内で配る飲み物や食べ物の到着が遅れたのだそうで、搭乗する機体を目前に、乗客は乗っていたランプバスの中で、そのまま待機させられました。
「月一旅行」を敢行していたことのあるみちょるびんは(「春爛漫♪」)、これまでに何度となく飛行機に乗ってきましたが、そんな理由で搭乗を拒否されたのは初めて!
しかも、ランプバスの中で!!
20分くらい待たされたという感覚がありましたが、ようやく搭乗が許された機内で配られた軽食は、小さいクッキーでした☆
これのために、待たされたのか!?
と、みちょるびんは少しがっかりしましたが、お隣の席のお兄さんはビールを注文。
ランプバスで待った甲斐あって、その恩恵を十分に受けられた、貴重な乗客のうちの一人と言えるでしょう。
オランダからの帰りは、そういったトラブルにも見舞われず、飛行機が特に遅延することもなく、よかった、よかった♪
今回のオランダ旅行では、航空券が購入できない問題(「春爛漫♪(3)」)に始まり、鉄道やバス、乗り物系のトラブル(「春爛漫♪ オランダ旅行!(2)」他)に振り回されっぱなしのみちょるびんでした。
訪問した博物館「マウリッツハウス美術館」「エッシャー美術館」や「キューケンホフ公園」、参加した蒸気機関車等のツアーは大満足だったので良かったですが、そのハッピーをも上回る’苛立ち’のせいで、旅全体の印象がさわやかなものにならなかったのが残念・・・。
とは言えきっと、時間と共に、乗り物系のトラブルは笑い話に変わって行き、今回のオランダ旅行も、他の旅と同様に、楽しかった思い出として昇華していくことになるのでしょう。
それにしても、みちょるびんが旅の前半に翻弄されることになった、元凶の1つである鉄道事故―――。(「春爛漫♪ オランダ旅行!(21)」)
その深刻さは、旅から帰って知ることになりましたが、オランダ滞在中にわかっていれば、腹を立てたりはしなかったし、いろいろと諦めもついたんだろうと思います。
これがわかっていたのとそうでないのでは、旅の過ごし方も多少は変わっていたんじゃないかなぁと思うところです。
以上、みちょるびんでした!