こんにちは、みちょるびんです。
【妹の結婚式を約1カ月後に控えた、ある日の日記】
昨夜、故郷にいる両親から家に電話があった。
父・パピーと電話で話をしている時に、冗談で、「私が結婚する時も、今回の妹の時みたいに、資金援助してくれるのか」と訊いたら、「おまえは仕事もしていて、貯金もあるだろうから、自分で対応しろ」と言われた。
そこまでは、いい。
私も本気じゃないし。
ところが、その後に「お金の代わりに、おまえには、自由をやった。おまえは、いろいろ放りっぱなして、実家を出て行っただろうが」と言うのだ。
聞き捨てならないではないか。
’自由をやった’とはどういうことだ?
何様だ、お主!
しかも、’放りっぱなし’って、どういう意味だ!?
私は、普通に、当時していたアルバイトはちゃんと退職願を出して、円満退社したし、別に、何か問題をそのまま放置するなどして、パピー達に尻ぬぐいしてもらう等の世話になった覚えは一切ない。
その上、「そもそも、おまえは、結婚するかもわからないだろうが」みたいなことを言われた。
頭に来たから、すぐに、横に待機していた妹に受話器を渡した。
それ以上、パピーと話をしたくなかったのだ。
今日も、夕方、ダンス教室に出かける直前に、実家から電話が入ったが、すぐに電話を切った。
母・マミーは、私がまだ怒っているとわかっている様子だった。
ダンスレッスンを終えて家に帰ってきたら、妹に、またマミーから電話があったという報告を受けた。
パピーは、昨夜は眠れなかったと話していたらしい。
私を傷つけたと。
そんなの、いつもの、大袈裟な言い草なのだ。
無視、無視!
【それから約10日後の日記】
夜に、マミーから電話があった。
出たくなかったが、マミーたちが上京してくる際の日程の件だったので、しぶしぶ出た。
両親は、地元で行われる、1カ月後に控えた妹の結婚式の後、数日間、上京してくることを予定していた。
妹の、新居の準備のためだった。
その間、両親は、妹が退去した後の、私のマンションに滞在する予定になっていて、これから航空券を手配するにあたり、いつからいつまでの間、うちに滞在するかという日程の相談だった。
電話口のマミーの声は疲れていた。
時間は、24時を既に回っていたし、眠いのをこらえて、私に電話してきたのかもしれない。
私は、先日の件でわだかまりがあり、気分が悪かったので、手帳も確認することなく、適当に返事し、電話をすぐに切った。
【その翌日の日記】
両親のフライトが気になって、今朝、実家のマミーに電話した。
地元に戻る日を連休の最終日にしたということだったので、その翌日からの2日間の平日は、私は仕事があり休めないので、私が両親の面倒をみなくてもいいのであれば、その週末まで日程を延ばして、いてもらってもいいと伝えた。
マミーがパピーに替わると言うので、パピーと話をした。
パピーは泣いていた。
いつものことであるが。
いちいち、大袈裟なのだ。
「お父さんを泣かせないでほしい」と言っていた。
私は、今回の一件で、とても腹が立っていたのだ。
でも、つい4日ほど前、テレビでも活躍していた有名人の訃報を聞いていた。
その人の年齢は、72歳だった。
パピーの年齢に近い人の死に接すると、やっぱり、私も反省はする。
パピーも、少し、こたえたかな?
【みちょるびんコメント】
こんな腹立たしい出来事があった日から、遡ること半年前。
みちょるびんは、妹と一緒に、帰省していました。
それは、妹が長年つきあていた彼を、実家に初めて連れて行くという大切なイベントがあった時で、みちょるびんも、野次馬で、そのイベントに参加するために帰省したのでした。
妹の彼には、それまでに何度も会ったことがあり、みちょるびんは、二人のことを応援していました。
それに、初対面同士の、彼と両親、特に父・パピーとのやりとりが、どんな展開を見せるのか、実際に立ち会いたいという気持ちがあったのです。
幸い、この時のご対面がきっかけとなり、妹と彼は、長い春を終え、結婚する運びとなりました。
そして、両家は一気に、お祝いムードになったのでした。
次にご紹介する日記は、その帰省の時のものです。
みちょるびんの父、パピーは、ロマンチストで、かわいい人でもあるのです。
【それから遡ること、半年前の日記】
今日は、東京に帰る日だ。
早いもんだ。
妹も今日、彼のご実家に、初めてご挨拶するべく、移動する。
私の1時間遅れの出発。
パピーは、妹に、妹が生まれた年の5円玉を用意していた。
「ご縁がありますように」。
そして、私にも。
姉妹間で、不公平ではいかんということだろう。
あと、本当に、お相手が現れてほしいという願いもあろうが。
私の場合は、50円玉。
「10倍のご縁がありますように」と。
実際は、私の生まれ年の5円玉が見つからなかったらしいのだが。
ありがたい。
パピーは、我々の今回の帰省に合わせて、わざわざ、二人の生まれた年の5円玉を探してくれていたのだ。
うれしいかぎり。
以上、みちょるびんでした!