こんにちは、みちょるびんです。
ちょっと、気分が落ち込んでいます・・・。
こんな風に気分が落ち込んでしまっている時って、暗い方にばかりに思考が働いてしまうものだから、自分から出て来る言葉自体も辛気臭いものになってしまう。
「これが書きたい!」というような記事のテーマが思いつかない時は、ますます、そういう後ろ向きな気分に、思考が引っ張られてしまう。
普段と同じ日常の中にいるというのに、こんな日は、自分のダメなところにばかり目が行ってしまって、憂鬱になる。
特段に失敗や不運があったわけでもないのに、自分一人だけが不幸であるような悲しい気持ちになってしまう。
いつもなら、一人の時間を楽しめるのに、急に孤独な感覚に陥ってしまう。
自分の中心にある感情が、こんな風にどす黒く渦巻いているものだから、外から入ってくる刺激の何もかもが、ネガティブなものに変換され、ますます落ち込むことになる。
本当にさ、こんな時に、楽しい記事なんて書けるわけないじゃん!?
ところで、みちょるびんは、自分には小説を書くような才能なんてないっていう自覚があるし、そのつもりもないのだけど、先日フッと、小説家っていいよなって羨ましく思ったことがありました。
みちょるびんはたまに、とりとめもなく、頭の中でぐるぐると思いを巡らすことがあるわけですが、こんなこと、絶対に口に出しちゃいけないって思うんです。
結構、その内容が辛辣だったりするわけよ☆
だけどそんな時って、その思いつきにちょっぴり酔っている自分もいて、人々に発表して、反応を見てみたいっていう欲求に駆られるのね。
例えば当ブログ「ぷぷっ・ピィ・DO」というツールが身近にあって、その気にさえなれば、いつでも発表できる環境が、みちょるびんにはある。
でもそれをやっちゃうと、きっとバッシングとか受けて、敵をたくさん作ることになるんだろうなぁっても思う。
そうすると、もう一人の常識的なみちょるびんが「そんなこと、絶対にすべきじゃない!」って、戒めることをする。
だって「ぷぷっ・ピィ・DO」では、みちょるびんが日頃感じていること、考えていることなどをエッセイという形式をもって発表しているわけだから、当然のことながら、その言葉は全て、みちょるびん本人が語ったことっていうことになっちゃうじゃん?
発表者であるみちょるびん自身が矢面に立って、その神経を疑われることになるんだろうなぁって、思うんです。
だけどね「小説の中の登場人物が吐いたセリフだったとしたら、どうなの?」って、気がついちゃった!
小説の中の登場人物が吐くセリフだったら、それが仮にみちょるびんの作品だったとしても、直接的にはみちょるびんに跳ね返ってこないんじゃないか!?ってね!!
雑誌で、新人小説家にインタビューしている記事を読んだのですが―――。
質問の一つに、「主人公は自分(作者)と似ているか?」だとか、「どの登場人物のキャラクターに近いか?」などというものがありました。
その新人小説家の人となりを紹介するっていうのがその目的なのだろうから、小説を読んだことのある読者にとっては、具体的な登場人物を挙げてもらえることは、明確な指標を示してもらえることになり、都合がいいのだろう。
その作家さんがそれらの質問に対して正直に答えるのか、そうじゃないのか、それは第三者にはわからないことだけどね。
物語の幅を広げるために、異なった性格や考えを持つ登場人物を登場させるのは当たり前のことだし、登場人物に過激な言動をさせて展開をセンセーショナルなものにしようと企てることもあるだろう。
でもそれは、あくまでも、物語を面白くするための手段ということで許される。
第一、小説は架空の話であり、それも自由な表現の一つ。
作家さんの中には「勝手に登場人物が動き出して、自分(作者)にも見当のつかない物語を生み出してくれる・・・」みたいなことをおっしゃる方もいらっしゃる。
そうなってくると、なんだか、その登場人物の言動は、魂を宿したその登場人物の責任に因るものであって、作家の自分にはないって説明しているようにも聞こえ、自分が生み出した作品であるはずなのに、どこか他人事のように振る舞っているようにも見える。
だけど、そういったことが許される分野なんだよね、小説ってものはさ。
だとしたら、自分自身の言葉として口にしてしまうと‘アウト’なものであっても、物語の誰かに語らせる分には‘セーフ’なんじゃない!?
小説って実は、とてもいい発表ツールなんじゃないかな!?って、感じた次第。
ちょっと斜に構え過ぎてる!?
ま、これも、気分が滅入っているネガティブみちょるびんから出てきた言葉っていうことで、何分ご容赦くださりませぇ。
以上、みちょるびんでした!