こんにちは、みちょるびんです♪
誰かがたまに「自分は飽き性だ」と話しているのを耳にすることがある。
そんな時は大抵、みちょるびんも自分が飽き性なのかということが気になり、考えることになる。
子供の頃に習っていたピアノやそろばん――勉強ですら、コツコツ継続する・・・ということができなかった。
単調な作業を行う仕事を始めて1ヶ月くらい経ったある日、これからもずっと同じことが続くのか・・・と考え、ゾッとしたこともあった(「自由きまま。(3)」)。
こういったみちょるびんの「続けられない性格」―――。
その根底にあるものを考えてみたときに、でも「飽き性」っていうのとはちょっと違う気がしている。
みちょるびんには日記を14年くらい書いていた実績があるし、このブログ「ぷぷっ・ピィ・DO」だってもう4年以上続けている。
好きなこと、目標が定まっていることなら、案外、続けられるということに気がついて安心した。
その1つの集大成として、通信教育で受講した「宝石鑑別」のディプロマを取得できたことは、みちょるびんの自信にもなった(「じーまんGO!(#7 コツコツ♪)」)。
それにみちょるびんは物持ちがよく、気に入ったモノなんかは何十年も使い続けるし、大切にとっていたりもする。
だから「もう飽きた」と言って、ポイッと捨てるというようなことは決してない。
長く一緒にいると愛着がわくし、かわいそうに感じられて、そう易々とは捨てられないのだ。
(だから断捨離も進まない・・・(- - ☆))
みちょるびんは熱中し始めると、ガーッとそのことに集中する。
だが当然、いつかはその終焉はやってくる。
でもその場合は‘飽き’によるものではなく、‘気が済むんだ’からなんだと思う。
ある程度満足したから、一旦終了したってこと。
それに今までの自分の傾向を考えると、その「熱中時代」は繰り返される。
長く時間が空くことはあっても、だいたいがそのウェイブは再びやってくるのだ。
そう考えると、みちょるびんは‘飽き性’ということではなく、より積極的に、新しい刺激を好み、求めているのではないかということ。
例えば、小説や映画などがいい例。
一度経験して先が知れているものはつまらなく感じられるのだった。
だから、新しい作品をどんどん求める。
みちょるびんが星新一のショートショートが好きだったのは、物語が奇想天外であることもさることながら、新しい刺激を求めるみちょるびんの欲求を短期間で満たしてくれたからではないかと思う。
そういう観点からは、伊藤潤二の漫画も同じ。
短期間/短時間に、ユニークな起承転結をたくさん体験できるっていうところが好きなんだと思う。
テレビを見ていても、youtubeであっても、次の展開がすごく気になる。
だから、バカみたいに永遠にyoutubeを見続けてしまうことになる。
とくに、ショート動画はいけない。
短いし、すぐに結果的に出るし、次から次に視聴してしまうのだ。
面白いと思っているうちはいいが、現実逃避に利用している場合も多々ある。
そんな風に精神が病んでいる時は、何もしないで一日中動画を観続けることになるから、恐ろしいことだ・・・。
子供の頃に、裏道を通ったり、遠回りをしながら下校していたのも(「冒険心。」)、みちょるびんが刺激を求めていた表れなんじゃないかって思う。
旅行だって、行ったことがないところに行きたがる。
そういう意味では、リピートしている北極圏最大の都市トロムソ(ノルウェー)だとか(「実況してみた☆(ノルウェー旅行♪ その8)」)は希少な存在。
最近では映画も、リピートしたい作品ができた。
でもなんか、そういうことすらみちょるびんには新鮮に感じられ、嬉しかったりする。
みちょるびんが新しい刺激を求めるのは一種の病気。
きっと、これはこれからもずっと続くんだと思う。
以上、みちょるびんでした!