こんにちは、みちょるびんです♪
みちょるびんは、子供の頃、おそらく小学校高学年頃ではないかと思うが、自分のことを「怒りん坊」だと思っていた。
腹が立つことがあると烈火のごとく怒り、そんな自分が嫌で、それがみちょるびんの一番の短所だとずっと思っていた。
二十歳くらいの時だったか、出かけた観光地の店先に、ユニークな造花を見つけた。
お菓子の付属品だったように思うが、ガーベラのような白い花弁を持つ花の中央に、三つ編み姿の女の子の顔がついていてにっこりと微笑んでいた。
学生の時に、モンゴメリー作『赤毛のアン』が好きで、三つ編みをして赤毛のアンに扮したことがあったみちょるびんは、なんだかその女の子が自分に似ているように思えた。
みちょるびんは怒りん坊な性格を直したかったので、その子のようにいつもスマイルでいようと心に誓い、目に入りやすい自宅の机の上のペン立てに立てかけた。
腹が立ってイライラした時は、この子を見て、戒めるようにした。
その子の力を借りずにすむようになって久しくなるが、今もその子はペン立てでにっこりと笑顔を向けてくれている。
なぜ、みちょるびんはあんなに怒りん坊だったんだろう?って考えることがある―――。
子供の頃から、興味のあることに対しては時間を忘れて夢中になるが、嫌いなことは一切やりたがらないという極端なところがあった。
コツコツするのが苦手だったし、勉強も面倒くさい。
親が多忙でみちょるびんまで目が届かず、野放しにされていたところがあったので、こらえ性がないという性分が増長されたようにも思う。
実際、高校生の時に学校で受けさせられた性格診断テストでは、忍耐力という項目の点数が異様に低かった。
みちょるびんのわがまま加減が証明されたようで、自分でも笑ってしまった。
親に習わされていたピアノやそろばんも好きじゃなかったし、バスケットボールの部活も好きじゃなかった。
高校2年生になって始めた部活の演劇だけは熱中したが、進学校で、勉強しなきゃいけないという雰囲気が重苦しかった。
受験の頃はホント耐え難かった。
たまに「あの時(受検)頑張って勉強したことで、忍耐力がついた♪」って、感謝している人を見かけるけど、そう言う意味ではみちゃるびんは完全に脱落者だね。
就職してからもイライラは続いた。
その時代の慣習的なものもあったのだが、当時は、新人には発言権なんてなかったし、命じられたことをやらされた。
ボロ雑巾のように働かされた――っていうのが、あの頃のみちょるびんの記憶。
入社して2年間くらいはずっと、怒っていたように思う。
いろんなことが腹立たしかった。
それからすぐに海外赴任したが、同僚に、仕事中とアフターファイブとでキャラが全然違うと言って驚かれたことがあった。
仕事中は怖いけど、アフターファイブの時は明るく面白いっていうことだった。
数字を扱う業務をしていたから、ミスしないようにと神経を使っていたし、心に余裕がなかったから、仕事中は「話しかけるなオーラ」を放っていたんだと思う。
その後経験を積み、自分の裁量である程度仕事ができるようになってきた。
確かその頃あたりじゃなかろうか、自分のことを怒りん坊だと思わなくなったのは。
ある部署では、企画のようなことを担当し、外に出かけていく機会も多かった。
多忙だったけど、やりがいもあったし、周囲からもハツラツとしていてその業務が性に合っていると評された。
しかしその後、今度は机に座ってひたすら書類のチェックをする部署に配置換えされた。
勉強になりはしたけど、楽しくはなかった。
ある時、体中に蕁麻疹ができた。
ちょうど、ヒトよりも余計に重い業務を一人で任され、怒りを飲み込みながら、がんばっていた時期だった。
体は正直なんだなと感心した。
異常に気づいた上司が、別の配属先に異動させてくれ、幸い、蕁麻疹は治まった。
こうして振り返ってみると、好きなことをしている時のみちょるびんは、怒りん坊というほどのものではなかったように思う。
だから逆に、自分で怒りん坊だと思っていた時期が長かったということは、その分、みちょるびんにとって快適とは言えない環境下に置かれていたと言えるのかも知れない。
元々、自分で考えて、自由に遊ぶことが好きな子供だったから(「自由きまま。(2)」)、組織の中で押さえつけられ、ずっと受動的でいなければならなかったことが苦痛だったんだと思う。
怒りん坊にならざるを得なかった昔の自分のことをかわいそうにも思えるが、でも組織の中で鍛えられたことで、人並みに「我慢する」ということを覚え、協調的な側面も養われたように思う。
若い頃のみちょるびんは、ヒトと衝突することが多かったが、それも各段に減った。
みちょるびんには必要な時間だったんだと思う。
以上、みちょるびんでした!