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子供の頃の思い出。(7)

投稿日:2025年2月5日 更新日:

 こんにちは、みちょるびんです♪

 母・マミーによると、子供の頃のみちょるびんは全然ものおじしない子だったらしい―――。

 1つは、実家が商売していたことも影響しているんじゃなかろうか。

 みちょるびんの家は、今でいうところのコンビニの走り。
 小さいのだけど、野菜、肉、魚、果物、パン、お菓子、飲み物、簡単な日用品など・・・と何でも売っていて、だいたいのものは揃えることができたと思う。
 近所のお得意さんだけを相手にした、本当に小さなお店だった。

 坂や階段の上の方にあるお宅に頼まれて、箱入りのみかんやスイカ、野菜などを配達することもたびたびあった。
 そういう時は、リヤカーに乗せてぎりぎり進めるところまで行き、その後は担いで運搬していた。

 配達は主に母・マミーの担当。
 当時は、重い商品を持って何十段もある階段を上って大変だったと思うが、その分、足腰が鍛えられたに違いない。
 御年84歳のマミーが現在も健康でいられるのは、その時にがんばった貯金によるものだと思う。

 幼いみちょるびんも、マミーの配達に一緒についていくことがあった。
 お客さんの家の鍵はいつも施錠されておらず、戸をガラガラッと開けて、大きな声で「ごめんくださーいっ!」と声をかける。
 そうすると奥の方から、「はーいっ!」と声がして、家主が現れる・・・という感じだった。

 こんなやりとりをマミーの横でずっと見ていたから、ヒトんちに入って行くことにはなんの抵抗もなかった。
 小学校高学年くらいになると手伝いで、一人で配達させられたりもしていたしね。

 お店には、お客さんが頻繁に出入りしていて、お得意さんからは「みちょるびん家商店」のお嬢ちゃんって顔を覚えられていたし、道を歩いていても声をかけられる。
 知っている顔なら挨拶もするし、それが普段の生活の一部だった。

 そうなると、ものおじなんてしていられない。
 もちろん、性格もあったんだとは思う。
 何故なら、同じ家に育ちながら、妹は恥ずかしがり屋で引っ込み思案だったから。

 妹は、小学校低学年の頃なんか、バスで運転手さんのところに両替をしに行くことすら躊躇していた。
 他の乗客の視線を浴びるのが嫌だったっていうことなんだろうけど、みちょるびんにとっては妹の心境は理解できないことだった。

 だから、必ずしもお店屋さんの子供が物おじしない性格に育つわけではないのだろうけど、みちょるびんの場合は素地があって、環境で増幅されたパターンなんじゃないかと思う。

 今となってはどういう経緯でそういうことをしていたのか思い出せないんだけど、小学校の時、下校時に学校の近くにあった小さい工場の事務所への立ち寄りが習慣化していた時期があった。

 夏の暑い盛り、ズカズカと事務所の中に入って行っては、麦茶をごちそうになっていた。
 しかも、友達だとかを引き連れて、数人で。
 友達に「あそこに行けば麦茶が飲めるよ」などと話していた記憶がある・・・。

 今となってはかなり図々しい子供だったと思うけど、大人たちが歓迎してくれていたと思うし、だからうれしくて何度も通った。
 それとも本当は、迷惑に思われていたんだろうか・・・?
 まだ幼かったから、大人たちの真意がわからなかっただけで・・・??
 だけどやっぱり、大人たちも皆、おおらかだったんだろうなぁ。

 なんかね、他にももう1軒、出入りして麦茶をごちそうになっていたところがあったよ☆

 みちょるびんが幼稚園の時に、一緒に暮らしていた祖父が亡くなった。
 祖父は、田舎から出て来てその土地で商売を始めた開拓者であり、みちょるびん家商店の店主だった。

 みちょるびんは常連のお客さんに「じいちゃんは死んだけど、これからもみちょるびん家商店に買いにきてください」ってお願いしたらしい。
 子供ながらに、お家の一大事ってことはわかっていたんだろうね。

 小学校にあがってからのみちょるびんの評価は、「ハキハキしている」「しっかりしている」が定番だった。

 まぁ、ハキハキしてしっかりもしていないと、麦茶は出てこんだろうよ☆

                             以上、みちょるびんでした!

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