こんにちは、みちょるびんです。
1.水瓶座の時代の到来
占星術では、グレート・コンジャンクションが起こると、「その起こった星座の方向に向かって社会が発展する」と言われているそうです。
2020年12月22日のグレート・コンダンクションでは、グランド・ミューテーションも併せて起こっているので、「‘風の時代’に本格的に突入した」と言われているわけですが、‘社会は、起こった星座の方向に向かう’なので、風のエレメントの中でも、‘水瓶座色’が強く出てくるということなんでしょうね。
雑誌などでもよく見かける、水瓶座の星座記号は、波立つ水面を表しているそうです。
また、共鳴し合う2つの波動を意味しているという説や、上下2つのマークが交わらないことから、交わらない価値観が平行して続いて行く、ということを指しているとの見方もあるようです。
自分の素直な心の声「自分らしさ」を無視して、抑圧した生活、行動を続けているような場合、水瓶座の人の中には、星座記号の上下2つの波が示すように、「本当の自分」と、「対外的な人格を持つ、偽りの自分」が分離したままで人生が進むというような、好ましくない側面が生じてしまう人もいるそうです。
「水瓶座の時代」は、そうならないようにしたいものだね、っていうお話だったのですが、自分にウソをつかずに、自分の個性を大切にすることが、「風の時代」を自由で軽やかに生きる秘訣だということでした。
この二面性の話を聞いた時、みちょるびんは、まるで自分のことを言われているようで、ドキリとしました。
これまでも、ブログに書いていますが、みちょるびんは、社会ではオフィス・レディ―として生活していて、それに違和感を持つようになり、長い間、「本当の自分」を追求しています。
ちょっとした、‘みちょるびんの乱’であるのが、本「ぷぷっ・ピィ・DO」であり、現在も進行形なのです。
表と裏の顔を同時に持つことで、バランスを取っていくということも大切でしょうし、例えば、生きていくために、お金を得なければならないから、そうせざるを得ないということもあるかと思います。
そして、きっと、多くの人が、そういう環境にあるのが、現実なのではないかとも思います。
ずっと交わることがない、二つの異なる価値観の狭間に留まらざるをえない虚しさ。
みちょるびんは、自分に重ね合わせてしまい、ちょっと悲しい気持ちになってしまいました。
ああ、この話は、めでたいお正月にするのはきつい・・・。
深追いはやめておきます。
でも、確かなことは、「自分らしくある」ということが、大切だということです!!
2.「地の時代」と「風の時代」のそれぞれの特徴
さて、「地の時代」は、目に見えるもの、物質的なところに価値があり、安定志向という特色があったそうです。
つまり、物質やお金など、現実的な豊かさが求められていたとのこと。
人間関係においては、縦社会で、役職やお金を持つ人が優位にありました。
「風の時代」は、逆に目に見えないもの、思考や知性、情報に価値が見出されるそうです。
また、「土の時代」の特色の一つ、所有して貯め込むというようなことではなく、皆で共有する、循環させるという流れになるようです。
人とのつながりも、横型になっていくとのこと。
こうやって見ると、「地の時代」と「風の時代」は、対照的のように感じられます。
これは、みちょるびんが感覚的に感じていることですが、ファストファッションの流行や、100円均一の人気は、「風の時代」の流れを組んでいるように思います。
手頃な値段ということもあり、消費の回転が速いというイメージがあります。
もちろん、値段の割に品質が良いということもありますし、実用的で、且つ、日本の場合は、見た目、ファッション性も大切にされているので、そういった点がウケているのだとは思いますが、根底には、物質的な所有欲が、昔に比べて薄れているということがあるように感じられます。
数年前から、若者が車を買わなくなったという話を聞くようになりましたし、最低限のものだけで生活するというスタイルの「ミニマリスト」という人種も増えてきたという印象です。
背景には、経済的な理由もあるのかもしれませんが、「風の時代」の先駆けっていう感じがします。
本格的に、「風の時代」に突入したのは、確かに、昨年12月22日と言われていますが、40年前の1981年の時にも既に、私たちは、「風の時代」を経験しています。
ずっと土のエレメントが続いていたグレート・コンジャンクションが、1981年に一度、風のエレメント、天秤座で起こっていたのです。
事実、爆発的に普及し、今や、「風の時代」の象徴とも言われる、インターネットや携帯電話の登場は、その頃なのだそうなのです。
知らず知らずに、40年くらい前から、世は、少しずつ、「風の時代」に移行していたのではないかと思います。
今の時代は、次から次に、あらゆるものが、生まれては消えていくというように、ものの展開速度が加速しているように感じられます。
定着が短いとでもいうか。
それだけに、情報量が多く、人の意識も、新しいものへと移行するのが、早くなっているのかもしれません。
そう考えると、ぼやぼやしていると、あっという間に、世間から取り残されそうですね。
また、フットワークの軽さ、柔軟性が求められてきますね。
みちょるびんは、機械音痴ですし、SNSなどにもずっと抵抗してきた一人でもあるので、みちょるびんのような人が、置いていかれるのかなぁと、心配になってます・・・。
でも、だからと言って、煽られてはいけません。
結局、やっぱり、「自分らしさ」っていうものが、ここでも大切になってくるように思います。
大量の情報を操ることが、マジョリティーになってくるのであれば、その逆のマイノリティー、それが、個性になってくることもあると思います!
たぶんね。
以上、みちょるびんでした!