こんにちは、みちょるびんです。
「第17回東京国際映画祭」のイベントの1つとして開催された、シンポジウムに参加したことがありました。
その時の感想です。
【シンポジウム参加(日記)】
今日は、シンポジウム「ヒットの法則を探る-映画マーケティングと予告篇-」に参加した。
昨年、同様のシンポジウムに参加した際は、人が多く、入場に、並んで待たされた経緯があった。
そのため今回は、少し早めに行ってみたのだが、その心配は無用だった。
開場時間ちょうどにドアが開き、私は3番目に通され、最前列の真ん中の席を陣取ることになったのだった。
進行役及びパネリストは、映画の配給会社の人たちだった。
たまたま私の隣に座ったインドネシアの男性も、映画に携わっており、自国の映画を売り込みたいと思っているとのことだった。
彼によると、これらの配給会社は全て有名とのこと。
私はこれまで、配給会社などとは、何の接点もないし、配給会社のことなど考えたことがなかった。
さて、進行役の人はお話し好きで、上手に司会進行していた。
専門用語が飛び交い、よくわからない話しもあったが、全体的に、面白く興味深かった。
いくつかの「予告篇」が上映されたが、一番印象的だったのは、有名な男性俳優主演のハリウッド映画のもので、その映画は日本でもヒットしていた。
アメリカ版と日本版の両方が上映され、それぞれ全く視点が異なるため、全然違う印象のものになっていたのが驚きだった。
私も、その「予告篇」を映画館で見たことがあったが、アメリカ版は、コメディタッチだった。
しかし、日本版は、ドラマティックで、使われている音楽が感動的な感じだった。
その与える印象の違いに、思わず笑ってしまった。
「予告篇」の制作者の話しでは、米国人はコメディが好きなため、‘くくり’も大きく、コメディにすることが多いとのこと。
それに対して、日本では、ジャンルで言うと、コメディは一番人気がないらしいのだ。
また、同映画のストーリーが、十分に‘ドラマがある’というので、「予告篇」をドラマティックに仕上げたという。
「予告篇」の最初のくだりの映像は、アメリカ版も日本版も同じなのだが、使われている曲で、全然印象が違ってくるのだから、音楽の効果はすごいものである。
アメリカ版も面白いが、日本版の方が、重厚感があり、より魅力的な印象を与える作品になっていた。
世界的に有名なその映画の監督も、日本版を絶賛し、今後封切られる国では、日本版が使われる予定とか。
同監督がこのように「予告篇」を作り替えることを承諾したのは、大変珍しいということだった。
ある調査で、映画を観に来た動機の80%が「予告篇」だったそうで、「予告編」の重要性が実証された形だ。
私自身、「予告篇」を見て、映画鑑賞するかしないかを決めているのだ。
そのように、重要な役割を担う「予告篇」は、制作するにあたり、ターゲットのプロファイリングを大切にしているとのこと。
時間があれば、モニタリングすることもあるらしいが、そうでない場合は自分たちの勘でターゲットを絞ることになるのだとか。
非常に面白いではないか。
どうやら、「予告篇」制作では、日本の感性を生かした独自のものも必要になってきているようだ。
それは、結局は受け手に標準を合わせた結果なのだ。
日本人は、まじめで、映画から何かを得たいと、多くの人が思っているのだそう。
また、話題の種になるようなイベント的、やじうま的なものに集中するという習性があるらしい。
「皆さん、そうされていますから」と言われると「じゃ、それで」という具合に、他人のことが気になる民族であるだけに、逆に、火がつけば、ブームになるのではないか。
売り手は、火付け役になるべくして、ターゲットの望むイメージ作りをすることが大切、ということなのだろう。
宝石鑑別の勉強をしていて、ジュエリーに関心がある私は、これは、おそらく、ジュエリーの製作、販売にも通じることなのではないかと思った。
やはり、買い手を意識する必要があるのだ。
買い手が受け入れやすいもの。
とても面白かった。
以上、みちょるびんでした!