こんにちは、みちょるびんです。
【滞在6日目の日記(後半)】
ショッピングで歩き回り、かなり疲れていたが、夜は、ミアさん夫妻と夕食を共にする予定にしていた。
ミアさんは、瑞穂のスイス人の友達で、サン・モリッツで一緒にハイキングしたりした仲である。
私たちは、家に寄っている時間がなかったので、そのまま、約束のレストランに直行することにし、瑞穂の車で向かった。
場所は、隣国フランスの山の上。
国境を越えて食事に出かけるというのが面白かった。
地続きである、ヨーロッパならではである。
ただ、道が混んでいて、20分以上も、ミアさん夫妻をお待たせし、申し訳なかった。
レストランは、とてもかわいいお店だった。
ここは、チーズフォンデュがおいしいのだそう。
やはり、この界隈に来たからには、郷土料理であるチーズフォンデュは外せない。
食事の間、ミアさんは、とても優しい目で旦那さんであるマークスさんに微笑んでいて、マークスさんのことを本当に愛しているんだなぁと思った。
ミアさんが、買い物の決断が早いということだったので、冗談で、「マークスさんに決めたのも即決か?」と私が質問したところ、それを聞いていたマークスさんが、「僕がミアを選んだんだよ」と代わりに答えた。
なんとも羨ましい話である。
このところ、やけに幸せなカップルに当てられてばかり。
私自身が、幸せを求めている証拠だ。
噂の、本場のチーズフォンデュはとてもおいしかった。
チーズフォンデュは、お腹の中でチーズが固まらないように、冷たい飲み物ではなく、温かい紅茶と食すのが極意らししい。
そんなことを知らないと、つい、白ワイン等を頼んじゃいそう。
とても興味深かった。
お腹一杯になり、皆、満足して、24時近くに、レストランを出た。
瑞穂は、山の上に建つこのレストランに辿り着いた頃に、車のエンジン音がおかしかったと言って、少しの間、外に駐車していた自分の車を、マークスさんに見てもらったりしていた。
その間、私たち3人は、こぼれんばかりの星空や夜景を楽しんだ。
私は、天の川を初めて見たのではないかと思った。
きれいだった。
さて、そろそろ家に帰ろうと、一旦、それぞれの車に乗り込んだのだが、瑞穂の車のエンジンがかからなかった。
どうにもならなかったので、結局、レッカー車を呼ぶことになった。
時刻は、夜中の24時。
気温も下がり、寒くなっていた。
レッカー車が来るまでの間、私たちは、ミアさん夫妻の車の中で、待機させてもらうことになった。
レッカー車の到着には30~40分くらいかかるということだったのだ。
私は、長丁場になると思い、改めて、友子と二人でレストランのトイレを借りた。
瑞穂もそのあと遅れて、レストランに駆けて行った。
小走りに走っていく瑞穂の後ろ姿は、申し訳なさそうで、何だかかわいそうだった。
車の中では沈黙が続いていた。
私は、日中に、トランプを買っていたので、冗談で、「トランプしながら待つ?」と提案してみたが、皆、無反応だった。
友子が「さっきから10分しか経っていない」と指摘した時は、「これからあと何分待たなきゃなんだろう」と思い、時間の流れの遅さにゾッとした。
しばらくして、レッカー車の運転手から電話があった。
待っている私たちに気づかずに、山のてっぺんまで行ってしまったらしかった。
そう言えば、かなり早い段階で、不自然に大きい車が、勢いよく通り過ぎて行ったのを、我々も見ていた。
どうやら’あれ’だったらしい。
我々を見過ごさずに、レッカー車があの時に到着していれば、もっと早くに、この気まずい沈黙から解放されていただろうに。
マークスさんが、レッカー車にわかりやすいようにと、瑞穂とミアさんの車のハザードランプをつけた。
そして、レッカー車の姿が見えたら、素早く車の外に飛び出し、合図を送った。
ようやくレッカー車が到着した。
結局、30分くらい待っていたのではないか。
瑞穂の車は、やっぱりエンジンがかからず、やむを得ず、レッカー車に車を預けることになった。
私たちは、お土産用にしこたま買ったチョコレートやビールの入ったビニール袋が、瑞穂の車に積まれたままであったことを思い出した。
こんな時に、こんなに荷物が多いのも何だか情けない。
私たちは、車からビニール袋の山を取り出した。
瑞穂の車をレッカー車の荷台に乗せ込むべく、レッカー車の荷台の部分が斜めに傾いて、傾斜を作った。
しかし、荷台は瑞穂の車の前に伸びたわけではなかったので、私たちは自分らで車の後ろを押して動かさねばならないのではないかと思い、車屋の要領の悪さを愚痴った。
私は、少しでもエンジンがかかればと思い、瑞穂の車のフロントに手をかざして、念を送ってみた。
まぁ、気休めでしかないんだが。
車屋は、エンジンをかけつつ、ハンドルを器用に操縦し、上手に荷台の前まで車を移動させた。
マニュアル車だから出来る技なのか、今度はちょっと、車屋が素敵に見えた。
マークスさんは、「でも、あのやり方は、車には良くない」と言っていた。
ようやく、瑞穂の車を積んだレッカー車が動き出し、私たちも、「タクシーが拾えるところまで」と頼んで、ミアさん号に同乗せてもらった。
しばらくの間、レッカー車の後ろをついて山を下りた。
念のため、レッカー車の車番等を控えた。
山の中であり、外は当然、真っ暗闇。
私は、ディナー前のスーパーでの買い物の段階で、かなり疲れていたので、何度も抵抗したが、まぶたが下りて来て意識が遠のいた。
後部座席の真ん中に座り、くねくね道のため不安定な姿勢だったのと、寝不足であったのと、いろいろな要因がミックスして、私は、車に酔ってしまった。
結局、マークスさんは親切に、私たちを瑞穂んちまで送ってくれた。
ミヤさん夫妻が家に着くのは更に30分後。
明日は仕事だろうに、申し訳ない。
が、彼らがいなければ、我々だけではもっと、時間もかかり、立ち往生していたに違いないのだ。
感謝である。
私は、車酔いのため、家に帰ってもまだ、少し、胸がムカついていたので、そのままベッドに横になった。
そして気づいたら、朝の7時になっていた。
海外に来てまで、化粧をつけっぱなしで寝てしまうとは。
落ち込むぅ・・・。
以上、みちょるびんでした!