こんにちは、みちょるびんです。
【宝石勉強中の頃の、ジュエリー展示会訪問(日記)】
今日は、待ちに待った北欧アーティストによる「ジュエリー&オブジェ展示会」のオープニングレセプションだった。
北欧に詳しい友達が誘ってくれたのだ。
18時ちょい過ぎには、職場を出発した。
速攻である。
18時の開始だったので、30分位遅れて行ったことになるが、到着した時は、ちょうど開会セレモニーが終わるところだった。
はやる気持ちを押さえながら、会場内のショーケースを覗いた。
大きく分けると2種類が展示されていた。
1つは実用的なジュエリー。
シルバーが主で使用している宝石も半貴石ばかりで、カジュアルなものが目立った。
そんな中、イエローゴールドの指輪にセッティングされていたルベライトはとてもきれいだった。
もう1つは、シルバーでいろんなものを模ったオブジェ。
宝石を埋め込んだミニチュアが並んでいた。
正直なところ、全般的に、私好みのものはあまりなかったが、強いてあげれば、‘ボルト’が気に入った。
機械の部品と部品を固定する、いわゆる、ネジである。
そのままそのボルトが、机の上等に放置されていれば、誰もシルバーでできていることに気づかないだろう。
でも、そこが楽しいと思うのだ。
このボルトだったら、もらったら、うれしいかもね。
‘もらったら、うれしいかもね・・・’―――。
展示会や展覧会などに行った時、展示されているものは、歴史的価値がある等、到底買えるような額のものではないので、いつも私は、‘買う’ではなく‘もらう’ことを想定して、展示品を見るクセがある。
また、手に入らないことがわかっていながら、必ず、「どれがいいかな?」と、マイ・ベストを選ぶという無駄な作業を繰り返してしまう。
‘買う’設定だと、現実的な厳しい目線で物事を考えねばならない分、その選択理由が理に適い、また、がんばれば手が届きそうな値段であった場合、現実味を帯びてくるので大変危険である。
しかし、‘もらう’設定だと、デザイン性や発想の面白さの観点から、自由に選べるという気安さがあるから良い。
だから、いつも、‘もらえたらうれしいもの’を選定するのだ。
そして、一緒にいる友だちにも、友達のマイ・ベストを訊き、その友達の一つの‘人となり’的な情報として、マイ・データ・バンク(架空)に蓄積する。
その情報は、友達の誕生日プレゼント選びの際等に役立たれることになる。
さて、今日は、ジュエリーの展示会ということもあり、訪れている女性客の多くは、興奮気味だったように思う。
北欧出身のアーティスト男性も気さくな人で、ショーケースからジュエリーを取り出しては、お客さんに見せていた。
私も近くで見せてもらう機会があった。
私は、ショーケースの中の色石(ダイアモンドのように無色とは異なり、色のついた宝石のこと)につき、友達にいろいろと解説した。
「宝石鑑別」をする上で、石の知識は欠かせないし、現在、勉強中であり、それに、好きなことなのだ。
友達は、私のちょっとした石の知識に感心したようだった。
また、近くで私の話を聞いていた、来客のおばさんたちも、私に石のことを、ちょっと質問してきたりした。
私は、かなり得意になって、ジュエリーや石の知識を披露した。
そして、おばさんにも、似合いそうな宝石を勧めたりした。
すごく楽しかったし、すごい快感だった。
本当に、私は、宝石が好きなのだと実感した。
私は、やはり、お客さんに似合うものを勧めることが好きらしい。
ヒトと一緒に買い物をしている時も、ついつい、店員さん以上に熱弁をふるってしまい、いつも、「お店のまわし者じゃないか」と言って友達に笑われるほどなのだ。
その人に似合う宝石やジュエリーに出会うお手伝いをしたいし、皆にも、ジュエリーをもっと楽しんでほしい。
お嫁入したそのジュエリーだって、きっと、愛されてうれしいはずだ。
なんだかとても、気分が良かった。
展示会の素敵な展示品に出会えたという感動よりも、自分が望む‘宝石との関わり方’を再確認できたことに興奮したとでもいうのか。
普段、宝石に携わる仕事をしているわけではないので、いい体験だった。
帰りは、近くのレストランで、友達と食事して帰った。
友達は、アートが好きらしく、ジャポニスムのことや印象派、ゴッホの話等、とても詳しかった。
今、私が本で読んでいるジャポニスムに関すること、例えば、「ジャポニスムの特色はシンメトリーでなく、画面を木が横切る大胆な構図・・・」等を、友達の口から聞けたときは、ちょっと感動したし、尊敬した。
私も、早く、ウンチク(!)を傾けられるようになりたい。
ゆっくりと食事をした後に、最寄りの駅に行ったら、人身事故で、電車が不通となっていた。
仕方がないので、小雨のぱらつく中、別の線の電車の駅まで歩いた。
初めは寒いと思ったが、歩き出すと、むしろ、その冷たい空気が気持ちよく感じられた。
到着した駅からは、電車を乗り継げば、普段自分が使っている電車を利用することができたが、私はそのまま引き続き、自分の電車の駅まで歩くことに決めた。
友達とは、そこで別れた。
20~30分は歩いたに違いない。
それでもなんだか、新鮮で、すがすがしい気分だった。
以上、みちょるびんでした!