こんにちは、みちょるびんです。
子供の頃から、どうもみちょるびんは、目の前のことが楽しいと、それに熱中して、飽きるまで、それに興じたいと思ってしまうところがあります。
実のところ、その性分は、今でも変わりません。
社会に出て、決められた時間割で行動しなければならないというのが、正直に白状すると、苦手です。
学生時代、学校では、1時間おきくらいに授業科目が変わりましたが、これも苦手でした。
細切れに、気持ちを切り替えて、次の時間には、全然別のことをやらなければならないからです。
そんなこともあり、授業中は、先生の話をあまり聞いていませんでした。
ずっと、他のことを考えて、過ごしていたと思います。
別に、空想好きとかいうわけでもないし、残念ながら、面白い独創的な物語を生み出すというような才能もありません。
どうしても、興味がないことが、すんなりと、頭に入ってこないんですよね・・・。
授業に集中しようと努めても、結局、(自分にとって)つまらないと、いつの間にか、目は開けているけど、別の世界に行ってしまっているといった感じでした。
家に帰ってからも、勉強はあまりしませんでしたが、異様に何かに一点集中するということはありました。
例えば、ピアノ。
普段は、さぼってばかりで、ほとんど練習しませんでしたが、熱中し出すと、1日に5時間もピアノを弾き続けるんですよね。
でも、それが2週間くらい続くと、またパタリと弾かなくなる。
それが、数学の数式を解くということだったこともありました。
ひたすら、ドリルを、何時間も解くといった感じです。
そんなこともあり、あの時は、ピンポイントで、テストの成績が良くて、数学の先生に驚かれたことを覚えています。
部活を演劇に転向してからは、ますます、自分のパッションに従うということを許し、どっぷり、演劇に漬かっていました。
当時は、自分の感覚を常に、新鮮に、ピュアに保つことを意識し、外からの刺激に、素直に反応するという訓練を自分に課していました。
そうすることで、演じる‘役’に近づけると考えていたんです。
そうすると、ますます、自分の、「熱中し始めると、止まらない」という性分を増長することになる―――。
今になって考えると、演劇部時代のあの訓練では、結果的に、「自分純粋培養」を行っていたのではないかと思います。
みちょるびんは、ハッピィになるためには、まずは、「自分の本質にかえる」ことが先決と考えており、その「自分の本質にかえる」ための有効な作業として、「自分の純度を増す」ということを推奨しています。
つまり、「自分純粋培養計画」の推進です!
振り返ると、学生時代の自分が一番、‘自分らしかった’んじゃないかと思います。
そして、自分の’核となる人格’を形成したのも、あの時期だったんじゃないかとも思うわけです。
最近、「自分軸」という言葉を耳にするようになりました。
「’自分軸’で行動する」とは、「他者の価値観や世間の情報等に左右されることなく、自分自身の中にある『好き』という純粋で素直な気持ちを基準に行動する」ことだと思います。
つまりは「自分らしくある」ということだと思いますが、みちょるびんが進める「自分純粋培養計画」は、「自分軸」でいるために必要な、「自分の核となる価値基準を明確にする作業」ということになるかと思います。
社会に出て、組織の中で行動していると、いつも「自分軸」でいるわけにはいきません。
協調性も問われるし、忖度だってできた方がいい。
でも、長い間、第三者の評価を気にして、他者に好まれる自分を演じていると、本当は自分が何を望んでいるのか、もう、わからなくなってきます。
だから、「本来の自分に立ち返る」ためにも、みちょるびんは、今年はもっと真剣に、「自分純粋培養計画」を推進したいと思います!
以上、みちょるびんでした!