こんにちは、みちょるびんです。
結論は、2つとして同じ波動を持つことがない「宝石」や「パワーストーン」であるので、たくさんあるものの中から、自分の波動と引き合う石を見つけられるといいね!ってことです。
だから、不思議な力が宿っているとか、宿っていないとか議論するのは、なし。
だって、「その人と合う石」ならば、その石は何等かの形で持ち主をサポートするはずだし、合ってない石の場合は、その恩恵に預かれない、ただそれだけのことだから。
つまり、世に出回っている「パワーストーン」は、自分ではないにせよ、誰かにとってのパワーストーンかも知れないわけなので、不思議な力の有無を疑うことは無意味―――と、そういう感じでしょうか。
あー、ちょっと、すっきりしました!
さて、普段、不思議好きを公言しているみちょるびんですら「パワーストーン」の効力に懐疑的であったわけなので「占いやスピリチュアル否定派の人たちは、さぞかし、パワーストーンのことも否定するのでしょう!」と思うわけですが、’パワーストーン否定派’は急になりを潜める・・・といった印象を持っています☆
世の中には、鉱物愛好家の方が多くいらっしゃると思うのですが、大自然が生み出した「石」に‘ロマン’は感じても、‘神秘性’などは感じていらっしゃらない?
いやきっと、それもひっくるめてのロマンじゃないか、きっと何かしら、説明のつかない不思議な力をそこに感じていらっしゃるのではないか、だからこそ、興味が尽きないのではないか・・・!?
違うでしょうか。
つまり「石」を、単なる「物質」として扱ってはいらっしゃらないんじゃないかと思うんですがね・・・??
もちろん、だからと言って、それがすぐに「スピリチュアル肯定派」に直結するとは言いませんけどね。
また、鉱物愛好家とは言わないまでも、「パワーストーンの愛用」をご自分に許されているスピリチュアル否定派の方も、多くいらっしゃるのではないか・・・と思うのですが、いかがでしょうか!?
ご自分が着用しない場合でも、ご家族、恋人、ご友人、はたまた職場のご同僚の着用は許容できる・・・とか?
みちょるびんが指摘したい点は「矛盾してやいませんかーっ?」ってことなんです。
鉱物や宝石もひっくるめた、いわゆる「パワーストーン」には魅了されているんですよねぇ?
「パワーストーン肯定/容認派」の人々は、「信じる者は救われる」と信じている――目に見えない大いなる存在だとか、お守り的存在のパワーも信じている――みちょるびんと同じ、こっち側のチームだと思うんですよ?
大歓迎!
なのに、殊、「占い/スピリチュアル」ってなったとたん、急に手のひらを反すのはなぜ?
その違いは何ですかー??
つまりね・・・。
潜在的には「占い/スピリチュアル・肯定/容認派」ってことじゃないですかー?
気づいてくださーいっ!っていうことを、申し上げたいっ。
もしかすると、ご自身が、あるいは身近な大切な方が、霊感商法で騙された?
あるいは、「見える」と称する‘怪しげな’霊能力者に出会ったことがある!?
その時に悲しい思い、不愉快な思い、腹立たしい思いをしたとしたら、確かに、否定派に回りたくもなると思います。
それなら、仕方がない、許す!
あと、そういった恐ろしいニュースを見聞きして、被害者の気持ちに寄り添えることができる優しさ、豊かな想像力をお持ちでいらっしゃる方も多いのかも知れませんね。
あるいは、明日は我が身と「注意しなきゃ!」と固く心に誓った、賢いあなた!
皆さまの心がけは、大変素晴らしい!
立派です!!
これも、みちょるびん、責めやしません。
だけどその他、残りの皆さーんっ、どうか、頭ごなしに、否定しないでくださーいっ!!!
だって、享受できるかもしれない’不思議な存在’の助言や支援を、受け取る前からブロックするだなんて、もったいないじゃないですか!?
神様など、宗教は信じていなかったとしても、ご先祖様がお守りくださっているっていう、感謝の気持ちはお持ちじゃないですか?
かわいがっていらっしゃった、亡くなったペットちゃんがそばで見守ってくれている・・・そんな風に感じたことはないですか?
毎日肌身離さず身に着けている、大切な方から贈られた時計やジュエリー――それを家に置き忘れて出かけたような時、なんか調子出ないってことないですか?
あるいはその逆で、大事な場面において、それがあったお蔭で気持ちが落ち着いた・・・ってこと、なかったでしょうか!?
誰だってそういう経験の1つや2つ、きっとあると思うんです。
みちょるびんは、占いは、こういった自分を守護してくれている存在たちと交信する、1つのいい手段ではないかと考えています。
「教えてください」「導いてください」という素直な気持ちを持っていて、その’協力的な存在たち’との仲介役をしてくれる占い師さん/占いと自分の波動が合ってさえいれば、きっとそれは、正しい答えに導いてくれるものとなる、そんな風に信じています。
もちろん、自分の直観は大切にすべき。
ここは、重要なポイント、赤線を引く箇所です!!
「この占い師、胡散臭い」、そう感じたのなら、おそらく、あなたのその直観は正しい。
そのあとは、そのペテン師がどんなことを言い出すか、楽しめばいいのです。
これも1つの「ぷぷっ・ピィ」ネタ、面白エピソードです。
煽られて、不安にさせられたら・・・、そうね、みちょるびんだったら、頭の片隅に置いておきます、参考までに。
でも基本的に、みちょるびんは「占いや占い師は、迷える人々をいい方向に導く’手助け’をする、良い存在であるはず」と信じているので、何のフォローもなく、ただ不安に落としめられているだけと感じるような’お告げ’なのであれば、それは単に「占い師が未熟」なのか、あるいは「そこに悪意がある」と思うので、その占い結果は切り捨てますっ。
そんなの都合が良すぎるって?
そうですよ、全ては、こちらの都合です。
そんなの、当たり前じゃないですか!?
自分にいいと思うものを選択する―――。
誰だってやっていることです。
占い好きの人は、たくさんの占いを試されているだろうから、きっと、怪しげな占い師に遭遇する割合は、一般の人よりも多いことでしょう。
でも、それもひっくるめて、楽しんでいるんだと思います♪
つい、占いは、気分が落ち込んでいるときに、頼りたくなりがちです。
それは、みちょるびんもそうです、白状するとね。
でも、気分が落ち込んでいる時は、自分自身が低い波動を発している時だから、低い波動を持つ占いを引き寄せることが十分考に考えられます。
そういった時に、トラブルに巻き込まれる確率がグンと上がってしまうのだと思います。
だから、気分がアガッている時に占いの門を叩く―――。
それが占いの、正しいベストタイミングと言えそうです。
以上、みちょるびんでした!