こんにちは、みちょるびんです。
朝起きて、活動を開始した後に、ふと、今朝は、夢を見ていたことを思い出しました。
雑誌かテレビの取材を受けようとしていて、インタビュアーの人に、「みちょるびんのために、特別ゲストをお招きしている」と言われました。
ドアが開いて、現れたのは、美輪明宏さんでした!
みちょるびんは、驚いて、歓喜の声をあげました。
テレビ番組「オーラの泉」の時のように、不思議な力をもつ美輪さんに、みちょるびんも見てもらいたい!という、密かな願望があるせいでしょうか、そういう期待も高まって、言葉にならないような喜び、興奮具合でした。
奇声を発しながら、近距離にいるご本人に向かって両手を振ってしまってましたよ。
はい、記憶はそこまで。
夢って、非情ですよね。
あ~あ、正夢だったらいいなぁ。
【ある日の日記】
今日は、朝5時半頃までずっと、自宅のパソコンに向かっていた。
最近巷で流行っている’占い’で言われている、12年周期の運勢と、箇条書きに記録していた’自分史’である「事件集」を照らし合わせてみたくなり、「事件集」を改定したのだ。
「事件集」は2年くらい前にデータを更新したのが最後だったので、それから2年のうちに起こった、印象に残った出来事を、新たに書き加えた。
そして、今回は、それを基に、新たに「ラッキー芸歴」なるものを作成した。
「事件集」がどちらかと言うと、あまり好ましくないような出来事を含めた、いわゆる’事件’と呼べる要素を強くしているのに対し、「ラッキー芸歴」は、自分にとって興奮するような、ミラクルな、嬉しい出来事、例えば、懸賞に当たったとか、自分が購入したものが、本に載っているとか、そういった小自慢話の寄せ集めになっている。
とても、いやらしいものだ。
それから、自分のダンス等の発表会も加え、更に興奮度(なんちゃって)を高めた。
とにかく、自己顕示欲が強過ぎて、いやらし過ぎて、とてもじゃないけど、人様には見せられない、自慢の目白押しとなっているのだ。
それにしても、自分でも驚いたのだが、こうやって「ラッキー芸歴」を改めて見てみると、雑誌や新聞に載ったり、テレビに出てみたりと、ちょっと、普通の人にはあまりないような体験が続いているものだ。
こういうのが1回だけじゃなく、何回かあったということに、改めて気づかされた。
まぁ、これは、私が注目されて、取材されたというものではないのだが。
テレビは、地元のローカルニュースで、取材対象が他にいて、それについてインタビューを受け、そのコメントが採用された形だった。
振り返ってみると、確かに、取材陣が求める、いいコメントをしていたと思う。
まだ、ピュアな学生だったし、それが良かったのかもしれないが。
新聞は、本来、アルバイト先の先輩が取材を受ける予定であったのを、先輩が恥ずかしがって辞退したため、私がその埋め合わせをしたのだった。
だから、私が熱望されたわけではなかった。
あと、雑誌は、ダンスの先生が女性誌に取材されていて、その日、奇妙な即興ダンスをして、たまたま取材陣の目を引いた私が、’生徒さんの一人’として、先生のことをインタビューされたのだった。
先生に憧れていたから、その思いの丈を述べたのが良かったのだろう。
これらはチョイ役ではあるが、いい動き(リアクション)をしていたからこその、採用だったに違いない。
めったにない、ちょっと面白い体験だが、こんな話、普段はヒトにしないけどね。
そんな機会もないし。
自分が買ったアンティークのカメのブローチと、瓜二つのものが、骨董・古美術を扱った月刊誌に掲載されているのを見つけた時も、興奮した。
あの時は、本当に、自分のブローチの写真ではないかと見誤ったほどだった。
わざわざ、提供元のお店を探し出して、電話して確認したほどだった。
お店も、顧客の個人情報を教えるわけにはいかないだろうから、あいまいな点も多かったが、結局、私が購入したものとは違っていたようだった。
でも、それでも、酷似しているものが専門誌で紹介されていたということは、気分がいい。
しかしまぁ、私も、’引き’が強いというか、あの月刊誌は、たまたま興味を引かれて手に取った一冊だったのだから、奇跡的である。
この月刊誌を買ったのは、後にも先にも、この1回きりだったのだ。
過去、一番興奮したのは、なんと言っても、くじの抽選で、米国西海岸への往復航空ペアチケットを当てた時であろう。
あれは、本当に驚いた。
でも、直後に、「これが’正負の法則’と言われていることなのかもしれない」と思うような悲しい出来事があって、怖くもなったのだった。
大きな幸運と引き換えに、大きな不幸が訪れるのであれば、そんな幸運はいらないと思ったのだ。
親戚一同、家族皆にお土産をたくさん買って帰って、大盤振る舞いをしていたが、せめて、そうしていて良かったと思った出来事だった。
それから、活躍中の画家の先生と飲む機会があった際に、画伯がその場で、万年筆で、私の似顔絵を描いてくださった時も、「子孫累々、家宝にします!」と心に誓ったくらいの興奮だった。
その後、意気揚々と表装してもらったが、自分が黒縁をチョイスしてしまったばっかりに、遺影みたいになっちゃって、せっかくの絵なのに、飾る気になれなくて失敗した、という苦い思い出がある。
いつの日か、センスの良い額縁にやり直してもらおうと思う。
まだまだ、今の私は、チョイ役だが、いずれはつるさんや、ダンス仲間のプロの皆さんみたく、’本業’で雑誌等に出たりできるといいのになぁ。
以上、みちょるびんでした!