こんにちは、みちょるびんです♪
鹿児島旅行最終日(6)。
みちょるびんと母・マミーを乗せたタクシーは、城山展望台を出発したあと、麓にある大郷隆盛銅像を目指した。
運転手さんが、その通り道にあるからと言って、親切にも、西郷さんゆかりの場所に立ち寄ってくれた。
「運転手さん、なんていい人! ラッキー!!」と思ったわけだが、あとで知ったのは、城山展望台から西郷隆盛銅像までのルートは、西郷隆盛ゆかりの地を巡る「城山周辺コース」として設けられているくらい、歴史好きの人にはたまらない史跡の宝庫だった、ということ。
【城山周辺コース】
①城山展望台→②西南戦争薩摩軍本営跡(ドン広場)→③西郷洞窟→④西郷隆盛終焉の地
→⑤私学校跡→⑥西南戦争の銃弾跡→⑦薩摩義士碑→⑧鹿児島城跡・御桜門→⑨西郷隆盛銅像
もちろん運転手さんの提案がなければ、みちょるびんたちは知らずにスルーしていたわけなので、ここは運転手さんに感謝である。
運転手さんは、③西郷洞窟と④西郷隆盛終焉の地の前で車を一時停止してくれ、みちょるびんたちは降車して軽く見学を行った。
《西郷隆盛にまつわる城山の歴史は以下のとおり》
西郷隆盛は明治新政府で参議として活躍していたが、朝鮮問題に対する考え方の違いから中央を去り、明治6年(1873)11月に鹿児島に帰郷した。
西郷を慕う若者が多くいたことから、西郷はそういった武士たちの教育のために、翌明治7年(1874)、学校(私学校)を設立した。
当時、鹿児島では独自の県政が行われ、他県との歩調がそろわなくなっていたため、政府はいろいろな対策を講じ、この政府のやり方に不満をもった私学校生徒が明治10(1877)年1月末に鹿児島にあった政府の火薬庫を襲ってしまう。
「首謀者の引き渡し」か「全面戦争」かという岐路に立たされる中、その結論を決定的なものにしたのは「おはんらにやった命」という西郷の一言。同年2月15日、西郷らはついに挙兵、ここに西南戦争が勃発した。
その後、戦場は熊本・宮崎などにも広がったが、最新の武器を持った政府軍におされ、西郷ら薩軍は鹿児島の城山にまで退くことになった。
はじめ、薩軍本営は、城山の頂上付近にあったが、砲撃が激しくなり、東側の岩崎谷に横穴を穿ってそこに居住を移すことになった(③西郷洞窟)。もはやこれまでと悟った西郷は、酒宴を催し最後の戦いに臨むことを誓い合ったそうで、花火まで打ち上げたんだとか。
同年9月24日午前4時、政府軍の城山総攻撃が開始。その時、城山に立てこもる薩軍兵士はわずか300余りで、対する政府軍は4万であったという。
死を決した西郷は夜明けを待って側近たちとともに5日間を過ごした洞窟を後にし、岩崎谷の堡塁へと下り始めた。だが、洞窟を出てわずか300メートルのところで、2発の銃弾が西郷の腰と大腿部を打ち抜き、西郷は歩けなくなってしまう。
そのため西郷は「晋どん、もうここらでよか。」と言って別府晋介に介錯を頼み、東を向いて、皇居を伏し拝んだのだった。
別府の太刀が振り下ろされ、西郷隆盛は満49歳という若さでその生涯を閉じた。
そうして、わが国最後にして最大と言われる内乱・西南戦争も終止符を打ったのであった。
西郷の遺体が発見された時、政府軍の総指令 山県有朋中将は「翁はまことに天下の豪傑だった。残念なのはここまで追い込んだ時の流れだ」と語り、いつまでも黙とうしたとのこと―――。
実のところ、歴史が苦手なみちょるびんは、こういった背景を理解していなかったので、③西郷洞窟を見ても、その歴史的価値はよくわからなかった・・・(- - ☆)。
当時、この洞窟の大きさは入口1.8m、奥行3.6mだったそうだが、崩落して現在の状態になったらしい。
西郷さんはじめ、私学校の幹部も一緒にこの洞窟で過ごしたそうだから、かなり窮屈だったに違いない。
そういえば、「晋どん、もうここらでよか。」というセリフは「薩摩伝承館」の解説文の中でも見た記憶があった(「鹿児島旅行!(32.薩摩伝承館。)」)。
西郷さんの自決を決意した言葉ということで広く知られているんだろうね。
ところで、切り落とされた西郷さんの首は、政府軍に見つからないように隠されたのだそうで、それではどうやって残された遺体が西郷隆盛のものと判断されたのか?という議論があるらしい。
西郷さんは大男だったというイメージがあるが、実際、当時の日本人男性の平均身長が155cm前後であったのに対し、西郷さんは約178cmであったことが推定されているらしい。
だから、体の大きさで一発でわかるんじゃないか!?って、素人的には思うんだけどね。
しかも、一時は体重が110kgにまでなったという巨漢。
ただし、西郷さんは健康のためにダイエットを敢行し、体重を30kg落としたという逸話も残っているらしいのだが。
犬を連れている上野の西郷隆盛像は有名であるが、あれは、愛犬を連れてウサギ狩り=ダイエットをしている様子を再現したものなんだとか☆
いずれにせよ、身長以外の身体的特徴から、西郷さんであると特定できたのではないかということが言われているらしい。
西郷さんは晩年、フィラリア症という病に悩まされていたのだそうで、患部が大きく腫れあがってしまっていたんだとか。
つまり、その病状が決定打となったのではないかとのことである。
そんな裏話を聞くと、歴史が苦手なみちょるびんもちょっと興味がわいてくる!
そうして、④西郷隆盛終焉の見学も終えたみちょるびんたちは、タクシーに、「城山周辺コース」の終着地点となる⑨西郷隆盛銅像まで連れて行ってもらい、降ろしてもらった。
西郷隆盛銅像のところでは、観光客が写真を撮っていた。
みちょるびんも同様に西郷さんにカメラを向けた。
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!







