こんにちは、みちょるびんです♪
日本に一時帰国していた際、予定の合間を縫って1回だけ旅行する機会がありました。
寝台特急列車「サンライズ瀬戸」の予約が、奇跡的に取れたのです!(「道後温泉旅行!」)
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松山城入口でもらったリーフレットに、松山城沿革として、以下の説明がありました。
松山城は、標高132mの勝山山頂に本丸、西山麓に二之丸(二之丸史跡庭園)や三之丸(堀之内)を置く連郭式平山城で、本丸の中枢である本檀には連立式天守がそびえる広大な城構えとなっている。
リーフレット「松山城」(松山城総合事務所)
「連立式天守」とはどういったものなのでしょう?―――
城主の権威のシンボルを表している建物である‘天守’。
天守は単独で建てられることもありましたが、付櫓や小天守などが付属するスタイルのものもあるとのこと。
天守の構造は、独立式、複合式、連結式、連立式の4種類に分類されるとのことです。
【独立式】
附属建物がなく天守のみが単独で建つ、最も単純な形式。
敵に本丸を占拠された際、この構造だと容易に天守への侵入を許すことになってしまうため、戦がなくなった江戸時代以降に建てられるようになったとのこと。
例:弘前城、丸岡城、宇和島城、高知城など
【複合式】
天守に、附櫓や小天守と呼ばれる附属建物を直結したスタイル。
「櫓」(やぐら)の主な用途は物見――見張り台で、戦時は矢や鉄砲の攻撃拠点、平時には武器庫としても使われていたとのこと。
大きな建物に付随した櫓であるため、「付櫓」という呼び名になるようです。
初期の天守によく見られた形式で、附属建物を経由しなければ天守に入ることはできず、附属建物に侵入されても天守内から敵を迎え撃つことができるという利点があります。
例:松江城、彦根城、犬山城、備中松山城など。
【連結式】
「複合式」では直接天守に直結していた附属建物を、渡櫓で間接的に連結させた形式が「連結式」。
日本国語大辞典によると、渡櫓(わたりやぐら)とは、廊下のように長く続く櫓のこと。
複合式と同様、附属建物を通らないと天守に入ることはできない仕組みだそうです。
例:名古屋城(愛知県)、会津若松城、熊本城など。
【連立式】
大天守と2基以上の附属建物を環状に渡櫓で繋いだ形式。
内側に中庭のような空間ができるのが特徴で、この中庭に敵を誘い込めば、櫓群からいっせい射撃を仕掛けることができる。
防衛力が高く、天守防御の窮極の姿であると言われているようです。
松山城が正にこの連立式の造り。
松山城では、天守、小天守、北隅櫓、南隅櫓が四方に配置され、それぞれを渡櫓が結んでいます。
正直に言うと、みちょるびんにはこれまで、どのお城も同じように映っていました・・・(- - ☆)
こうやって調べてみると、なかなか興味深いものです。
松山城の創立者は、賤ケ岳の七本槍の一人として有名な加藤嘉明。
加藤嘉明は関ヶ原の戦いで、東軍徳川家康について当時の居城・松前城を留守にしていた際に、西軍の総大将となった毛利輝元の軍勢に同城を攻撃されたという経験を持っています。
その時はなんとか撃退できたということだったようですが、加藤嘉明が、関ヶ原の戦いの後にも、ふたたび戦乱が起こることを憂慮していたのだとしたら、城の設計――縄張り――に細心の注意を払っていても不思議ではない。
江戸時代のお城は、地形に制約がない限り、生活の便を考慮して平山城か平城(「道後温泉旅行!(9)」)になるのが主流であったらしい。
そんな中で、松山城は、ロープウェーで登らなければならないほどの天険と言われる勝山に築城され、且つ、防衛力が高く、天守防御の窮極と言われる「連立式」が採用されたわけです―――。
お城を通して、武将の性格や考え見えるものだと何かで見ましたが、松山城がまさにそれ!
ますます興味深い。
以上、みちょるびんでした!
【参考】
【超入門!お城セミナー】天守ってどれも同じ形じゃないの? (shirobito.jp)
【現存12天守に登閣しよう】伊予松山城「賤ヶ岳の七本槍」加藤嘉明が築いた実戦城郭|小和田泰経 (shirobito.jp)