こんにちは、みちょるびんです。
【本来見えないはずのものまで見える(日記)】
今日は、起きるのがつらかったが、眼科に行かなきゃだったので、がんばって支度して出かけた。
先日、コンタクトを作りに行ったとき、例のうさんくさい医者から、右目の下の網膜に穴が空いているようだから、眼底検査をした方がいいと言われたのだ。
今日は、信頼の、かかりつけの先生に相談しに行った。
本来なら、内容的に、すごく不安がることであるはずなのに、最近、いろんなことで緊張することが多いためか、感覚がマヒしているらしい。
なんともないのだ、不思議なくらい。
いずれにせよ、検査を受けた。
‘視野検査’というやつらしい。
問題の右目だけで、白い箱の中を覗き、キラキラ光が見えたら、手持ちのスイッチを押すという検査だった。
検査の間、キラキラ光が現れていないときは、本来、見えるべきものが見えてないのではないかと不安になったが、どうやら、良く見えていたらしい。
普通の人が見えないものまで見えていたとのこと。
ましてや、本来見えるはずのない、視神経の集中しているところまで見えていたのだって。
それは、ウソだ!!
とにかく安心した。
急に眼が良くなったような気分になった。
しかし、考えてみると、私は、よく、視界の端で、動くものをよく察知し、虫とか見つけてしまうのだ。
それは、‘良く見えている’からなのか。
動くものに敏感なのかな。
じゃぁ、やっぱり、死んだばあちゃんが、何度か、‘まばたき’をしたような気がしたのは、錯覚ではなかったということか?
その晩、親戚が集まって、家の外で立ち話しているときに、家の窓のところを白い影が横切ったように見えたのも、あるいは・・・?
最近、妙に、コバエが気になって仕方がない。
死んだばあちゃんに‘たかって’いたコバエが、印象に残っているせいなのか、コバエが自分の視界を横切るのが、妙に気になるのだ。
先日は料理屋にいたし、今日は、職場にもいた。
コバエが私の周りをうろついている感じ。
死んだばあちゃんがコバエになったなんて、ばあちゃんに対し、失礼な発想だけど、なんだかなー。
でも、以前にも増して、守られている感がある。
サンキュー、ばあちゃん!
【それから4年後の日記】
そうそう、江原啓之さんが言っていたが、亡くなった人は、虫に憑依することがあるらしい。
例えば、墓参りに行ったとき、蝶がまとわりついてくるとか。
そういう時は、亡くなった人が感謝の意を表しているのだとか。
私は、上京するまで一緒に住んでいたばあちゃんが、亡くなってすぐの頃、コバエやハエが妙に気になった時期があった。
不思議な感じがした。
でもやっぱり、あれは、死んだばあちゃんが憑依したものだったに違いないと、私は確信したのだ。
霊感が強い妹は、お葬式の時、急に肩が重く感じたなどと話していたが、おそらく、私の場合、そこまで感覚が鋭くないため、虫に憑依するという方法で、アピールしてきたのではなかろうか。
そんな気がする。
【翌日の日記】
あれから、江原啓之さんの虫の話が気になり、ばあちゃんが亡くなった頃に書いた日記を読み返してみた。
やはり、コバエの話しに触れていた。
ばあちゃんに守られている気がすると。
やっぱり、そうだったのに違いない。
読み返して、一つ驚いたのは、遠方に住む従妹(ばあちゃんにとっての孫)が葬儀出席のために久しぶりに帰ってきて、うちに泊まった夜に、カナブンが部屋に舞い込み、皆で、怖がって騒いだ話し。
でも、何だかおかしくて、皆で、大笑いしたのだが、あの時、ブンブン音を立てて飛んでいたカナブンが、従妹のパジャマの袖にピタッと止まったらしい。
あのカナブンも、今となっては、ばあちゃんだったのではと、思える。
自分の書いた当時の日記を読み返して、泣いた。
大好きだったばあちゃんが思い出されたから。
あの頃の私は、本当に仕事が忙しかった。
徹夜もよくしていた。
だが、とても気持ちが前向きだった。
何年か後に今の日記を読み返した時、私はどう思うだろう?
以上、みちょるびんでした!