こんにちは、みちょるびんです。
中学生の時、確か、国語の教科書で初めて触れたんだと思います。
夏目漱石の「坊っちゃん」―――。
「坊っちゃん」と自分がとても似ているように感じられ、「坊っちゃん」をかわいがって世話をする下女の清のことも、まるで当時一緒に暮らしていた‘ばあちゃん’にも重なって見え、とても親近感を覚えたのでした。
だから学生の頃は「正直」であることを美徳に感じていたところがあった。
「正直で何が悪い?」という気持ちで過ごしていたように思います。
小説や漫画の主人公に影響され、すっかりその気になってしまうみちょるびんがいました。
多感な十代の頃って、みんなそんな風なんでしょうかね?
みちょるびんは子供の頃から「●●ごっこ」というような、何かになりきって遊ぶのが好きだったし、憧れの人物に感情移入しやすいところがあったんでしょうかね・・・??
部活動で「演劇部」に入ろうと思い立ったのも、「●●ごっこ」が好きだったことを思い出して、演技することが好きなのかもと考えたからだった気がする。
実際、みちょるびんは「演劇」にハマり、のめり込みましたけどね☆
だけど、十代の若者全員が、演劇部に入部するわけじゃあない。
あるいは小説や漫画の主人公に影響されやすかったっていうのは、みちょるびん特有のものだったのかな・・・?
でも、皆がアイドル等の特定のアーティストのファンになり始めるのもこの時期が多いように思うし、やっぱり多感な時代は、何かに強烈に吸引されて影響されるものなんでしょうね!?
考えてみると、みちょるびんがアイドルやアーティストに夢中になったという記憶はあまりありません。
あったとしたら(古い話で恐縮ですが)「ピンク・レディー」くらい!
「ピンク・レディー」のダンスに夢中で、子供の頃、よく真似して踊っていました。
みちょるびんは踊ること自体が大好きだったし、「ピンク・レディー」はみちょるびんの好みにうまくフィットしたんだと思います。
でもおそらく「ピンク・レディー」というアイドルのファンだったというよりも、そのダンスの方に興味を引かれていたように思います。
その後もみちょるびんは、実在する人物の熱烈なファンになる・・・というようなことはありませんでした。
「赤毛のアン」なんかも、自分と似ていると思って好きでしたが、みちょるびんはキャラクターに惹かれるということが多かったのかも知れません。
「赤毛のアン」と「坊っちゃん」の性格に共通するところは、「正直」で「不器用」っていうところのように思います。
みちょるびんも、当時は特にそんな自覚はありませんでしたが、結局「不器用」だったのかも知れませんね。
「正直」であることはいいことだと思っています。
みちょるびんが奨励する「自分純粋培養計画」においても、自分に正直になることが一番の近道だとみちょるびんは思っている。
ただ、「正直」になることは難しいっていう、葛藤もある。
実のところ、「正直」でいると「毒舌になりがち」という点が心配されるからです。
相手に賛同できるようなことであればいいのですが、どうしても意見が対立してしまうこともある。
いろんな意見があって当然だし、意見の交換は、自分にはない新しい考えを知るいい機会でもあるとは思います。
しかし相手に、異なる意見を受け入れる心の準備ができていないような場合は、相手を傷つけてしまうこともある。
つまり「正直」であることが、必ずしもいいことばかりではない。
長い目で見たら、最終的には、その人の成長につながることもあるのかも知れませんが、下手すると、その人との関係性にひびが入ってしまい、修復が困難となってしまう場合もある。
だからきっと、そこには、相手を思いやる気持ちが必要になってくるんだと思います。
相手のためを思って敢えて「正直」になることもあるだろうし、逆に「正直」な考えを控えることもあるだろう。
もちろんその判断が必ずしも正しいばかりとは限らないし、かえって、逆効果になることだってあるかも知れない。
だけどそれだって、相手のことを思いやった上での行為なのだから、こちらの「愛」が通じることを願うしかない・・・。
「正直で何が悪い?」と思っていた頃のみちょるびんは、相手に対する思いやりに欠けていたのかも知れないなぁ。
自分のその時の感情ばかりを優先して、「正直」な思いを、単に相手にぶつけていただけだったんだと思う。
それじゃぁ、怖がられてもしょうがない。
やっぱり「正直」になろうにも、相手がいて、円満にその場を収めるためには、相手の立場を考慮することも必要だっていうことね。
しかしそうすると、いつまでたっても「自分に正直でいられない!」ってことになりかねない!!っても、思うんだよね・・・。
あー、堂々巡り。
その辺の塩梅がとても難しい!
以上、みちょるびんでした!