こんにちは、みちょるびんです。
1.相撲の記憶
みちょるびんが、父・パピーのことを思い出すとき、‘相撲ファン’だったとまでは、思わないのですが、しかし、パピーがよく、テレビで相撲を観ていたという記憶はあります。
仕事を終えて家に帰ってくる時間に、ちょうどテレビで相撲をやっていて、パピーは帰宅すると、必ず、牛乳とアンパンをお供に、相撲を観ていました。
みちょるびんは、相撲には関心がなかったし、そのせいなのかも知れませんが、パピーと相撲の話しをした記憶は、ほとんどありません。
だから、パピーのことを、‘相撲ファン’認定できないのだと思いますが、とは言え、スポーツの中で、パピーが唯一、観ていたのは、相撲であったことは間違いありません。
だから、‘相撲’と言ったら、‘パピーがよくテレビで観ていたな’という風に思い出します。
さて、そんな‘相撲’ですが、ずいぶん前になりますが、一度だけ、みちょるびんは、相撲観戦に行ったことがありました。
また、相撲の稽古部屋を訪問する機会がありました。
パピーにこのことを自慢したかどうかは、覚えていませんが、なかなか、珍しい体験であったことは確かです。
そのときの、日記をご紹介します。
2.大相撲観戦(日記)
今日は、待ちに待った、大相撲の観戦日。
最近、仲良くなった友達が誘ってくれたのだ。
彼氏さんと、その同僚の外国人男性も一緒だった。
同僚の方は、身長が190cmあるらしく、130cm四方の升席では、4人でとても窮屈だった。
ずっと座っていると、体操座りでさえも、腰が痛くなってくる始末。
それにしても、思いの他、相撲は楽しかった。
これまで、全然興味はなかったのに。
観てみるもの、だ。
高見盛関のことは、テレビで知っていた。
角会のロボコップという愛称で、親しまれていた。
何だろう、彼は、本当に人を惹きつける魅力があるのか。
これが、カリスマというものなのか?
それまで、あまり気に留めていなかったのだが、高見盛関が入場してくるとき、なぜか、彼の姿を瞬時にとらえたのだ。
足を怪我しているのか、少し引きずるように、ひょこひょこ歩く感じ。
その動きが、大勢の人を背景にしていても、目を引いたのかもしれないが。
本当に人気があって、彼が入場したら、拍手が沸き起こった。
土俵の上でも、注目の的だった。
彼は、取組のとき、二度もフライングをした。
そのたびに彼の闘志は燃えるのか、テレビで観たことのある、パシパシと体をたたく音が大きくなっていった。
思わず、応援したくなる。
結果は、黒星だったが、十分楽しめた。
また、ひょこひょこしながら、帰って行った。
人気があるせいか、横綱等の力士に次いで、懸賞金が多かったのも印象的。
たまたま、家でテレビをつけたら、相撲をやっていて、高見盛関が出ていた。
テレビでは、フライングのところはカットされていた。
当然か。
しかし、茶の間では、このようなドラマがあったとは、知らないのだ。
ちょっと、愉快。
行って実際に観てみるとね、相撲ファンになるよ、これは。
とても楽しかった。
3.稽古部屋見学(日記)
今日は、5時半起きだった。
相撲部屋を訪問するのだ。
相撲部屋の玄関を入ると、すぐに畳があり、畳の上に上がると、右手に、小さい土俵が設けられていた。
既に、若い力士が汗をかいていた。
白熱しており、真剣な気持ちが直ぐに伝わってきた。
見学者は、さすがに誰もおしゃべりしたりはせず、緊張した面持ちで、皆、稽古の様子に見入っていた。
私も、その一人。
真剣にぶつかり合う姿は、音だけでもその激しさがわかり、何か、美しかった。
先日、本場所を観に行って、少し、相撲を見直した私だが、以前は、その1分も行われない‘マッチ’が、何だか、簡単に見えていたのだ。
しかし、今回、生で、間近に稽古を見て、そう容易なことではないのだということを理解した。
当然、横綱や大関・・・等、上位の力士も彼らと同じ道を歩んできたのだ。
彼らの真摯な姿は、すがすがしく、そこに感動があった。
正面からぶつかっていき、まっすぐに、正々堂々と戦っているところが、そのように思わせるのだろうか?
親方の叱る様子や、真摯にアドバイスを受け入れる力士たち、その緊迫した空気。
そこは神聖な場所であり、いい加減な気持ちでいてはならないという感じがした。
面白い、貴重な体験だった。
贅沢を言ってはならないが、幕内の稽古が見られなかったのは、少し、残念。
以上、みちょるびんでした!