こんにちは、みちょるびんです。
1.昔のある日の日記
またも、起きたのは、お昼頃。
また、1日のスタートが遅くなってしまった。
ご飯を食べて、テレビを見ていたら、15時になっていた。
「人生を変えた一言」とかいう番組をやっており、思わず見てしまったのだ。
人はそれぞれ、その後の人生を左右する‘言葉’に出会っているものだ。
私は、どんな言葉に出会っただろう。
すぐには思いつかないものである。
「座右の銘」も、特別にない。
強いて言うと、「今が一番、若い自分」か。
あんまり格好良くないが。
2.近況報告
今に始まったことではないですが、みちょるびんは、このところ、また、気が滅入っていました。
「1日1記事」を目標に、とにかく、続けてみようという気持ちで、ブログを始めましたが、やっぱり、気持ちが揺らぐというか、「こんなことしていて意味があるのかな?」とか、弱気になるわけです。
始めた当初は、「自己満足でもいいから、新しいことに挑戦してみたい」という純粋な思いだったのに、こんな風に感じるって、「結局、成果を求めているからなんじゃないの?」と、思うわけです。
もちろん、「成果を求めていない」と言うと、ウソになりますが、でも、それは、結果としてついてきたら嬉しいものなのであって、本来、「自分が楽しいから」、「‘良いおこない’だと信じているから」、まずは、そこが原点であったはずなのです。
「好きでやってるんだったら、それでいいじゃん!」なんです。
また、時間には限りがあるのに、自分の中で納得のいくものにしたいという‘こだわり’があるものだから、睡眠と引き換えにしているようなことも多々あって、「疲れるのに、本当に楽しいの?」「つらいんじゃないの?」って、後ろ向きな気持ちが芽生えてきたりもしていました。
だから、せめて、「占い三択リーディング」で、いいことを言われたいと願って、「奇跡が起こる」というようなテーマばかりを求めたり。
「奇跡なんて、そうそう、起こるはずがないのに」
「いいえ! ‘そんなことあるわけない’なんて、ネガティブな思想自体が、幸運の妨げになるのだから、そんな風に考えちゃだめだ!」とか、ぐるぐる、ぐるぐる、同じところを回ってました。
そんな‘やさぐれ’状態のときに、たまたま、ビジネスセミナー(講演)が、動画でおススメされ、油断しているスキに、勝手に、動画が流れ出しました。
最初は、聴く気はなかったのですが、お話しが上手な講師の先生で、結局、最後まで、聴いていました。
ご自分や、数々のリーダーの方々の経験を交えながら、理路整然とご説明され、みちょるびんが感覚的に信じていたことを、明確に代弁してくださったような感じで、ちょっと、感動しました。
あんな風に、ちゃんと言葉で説明できるって、素敵なことだなぁと思いました。
さて、その先生がおっしゃったのは、「逆境に直面した時の、究極的な突破口は、『死にはしない』という気持ちで臨むことだ」ということでした。
生かされている(命があってありがたい)などの感謝が前提にあるわけで、だからこその、そういう発想なのかなと思います。
別に、本当に命の危機があるわけでなくても、実は、みちょるびんも、困難な選択を迫られて、逃げ出したくなるような時は、「これで死ぬわけではないのだから」と考えるようにしています。
究極の不幸(死)と比較してみることで、「だったら、これくらい、なんでもないことだ」と考え直すことができるのです。
少し、気が楽になれるというのか。
この講師の先生の講演を現場で聞かれていた方々は、リーダーと呼ばれる方ばかりなのだそうで、志が高いわけですが、そんな、元々のレベルが高いような方たちが、先生のお話に感化されて、ますます闘志に燃えるわけですから、みちょるびんみたいに、「1日1記事」ごときに‘へこたれ’ているようじゃいけないなと、反省しました。
また、たまたま、別の動画で、「夢日記」なるものを紹介しているものを観たのですが、そこでも、動画の主さんの、並々ならぬ決意みたいなものを感じ、とにかく、皆さん、夢に向かって、絶えまぬ努力をされているのだなぁと、感服するとともに、「1日1記事」で、既にがんばったつもりになっている自分を恥じました。
3.さて、ここで本題
って、わけで、本題の「座右の銘」ですが、「しにゃあせん」にすることに決めました!
冒頭の日記で話題にのぼった「人生を変えた一言」に値する、肝に銘じたい言葉かなと、感じた次第です。
まだ、何一つ変わってませんが。
いや、意識は変わったよ、うん。
「しにゃあせん」→「しにやせん」→「死にはせん」→「死にはしない」です。
講師の先生からいただいたお言葉です。
ありがとうございます!
以上、みちょるびんでした!