こんにちは、みちょるびんです。
昔のドラマを観ていたら、自分に降りかかった不幸を「これは神様から試されているんだと思う」とけなげに話す主人公がいました。
主人公は、元は大金持ちの令嬢。
使用人もたくさんいる豪邸で、何不自由もなく暮らしていましたが、父親の事業の失敗で急転直下、無一文になってしまい、使用人として暮らし始める・・・そんな物語。
元お嬢様の主人公には、これから多くの試練が待ち構えていることが予想される。
しかし主人公はくじけそうになりながらも、きっと数々の困難を乗り越え、やがて、そんな彼女のがんばる姿をそっと陰で見守り支える第三の人物が現れるに決まっている。
主人公はいずれまたお金持ちに返り咲き、幸せな人生を送ることになるんだと思う・・・。
そんな展開が約束されているハッピーエンドの物語だとわかっているからこそ、主人公の惨めな状況を哀れみながらも、視聴者は安心してドラマを楽しむことができるんだと思います。
さて、重要な登場人物の一人に、主人公と同様に、使用人として住み込みでこき使われている青年がいました。
学校に通って学びたいという切実な願いがあるのですが、実家が貧しく自分が働かざるを得ないため、その願いが叶わずにいる苦労人。
心優しき青年は、自分の運命を受け入れようとけなげにがんばる主人公を、そばで支えるのですが、主人公を妬み、負けを認めさせたいと思う人物に、その弱みに付け込まれてしまう。
主人公に敵対するその人物は、徹底的にいじめ抜くことで主人公を自分に屈服させることを目論み、その手段の一つとして‘自分に協力すれば代わりに学費を出してやる’と青年を誘惑したのでした。
青年の態度の急変に戸惑い、孤立していく主人公に対して、罪悪感に苛まれる青年。
その彼が放った言葉、それは―――。
「『今の不幸な境遇は、自分が真のプリンセスになる価値がある人物かどうか、神様に試されているのだ』だなんて、それは自分のことを特別な、選ばれた人間だと思っているおごりがある証拠。生まれた時から恵まれていない俺は、それじゃぁ、ずっと神様に試されているとでもいうのか!? ふざけんな!」というもの。
ちょっと、目からウロコ。
なるほどねと、みちょるびん、感心した次第。
主人公は、つい最近まで、全てのものを所有していたお嬢様。
そのお嬢様が、今は使用人という立場に転落し、こんなつらい目に遭っているのは「神様に自分の真価を問われているせい」と言う。
その後主人公は、使用人という仕事を蔑むような発言をしたことに対し、その失礼を詫びるシーンはありますが、主人公のこれまでの境遇を考えると、それまでは使う側にいた者が、今度は使われる側に回ったわけだから「ランクが落ちた」と感じてしまうのは当然の成り行き。
靴下からハンカチから、イニシャル入りのもので身を固めるというような贅沢な暮らしから一変、屋根裏暮らしという明らかに生活レベルが落ちたのだから、そう考えるのは仕方がないこと。
主人公としては「‘今は’神様に試されている」とでも思わなきゃ、正常な精神を保つのが難しいんじゃないかと心配に感じるし、それは主人公なりの生きていくための‘知恵’なんじゃないかと思う。
とは言え「真価が問われている」という言い方をする限り、確かに、その神様のテストとやらに合格しさえすれば、また豊かな生活に戻れるんじゃないかという夢見がちな甘い考えが垣間見えるわけなのであり、厳しい現実を生き抜いてきて、一度もそんないい思いをしたことがない青年からすると、腹立たしく感じられるのかも知れない―――。
「神様は、乗り越えられない試練は与えない」という言葉がありますが、みちょるびんも、その考えに何度となく救われてきた経験があります。
だけどこの言葉がなんだか、「神様に試されている」と言う主人公のそれと重なって聞こえてきました。
そこには「その大変な状況から抜け出すんだ」という困難に立ち向かおうとする強い意志が感じられるのと同時に、「乗り越えられる」と信じないからには、その不幸に飲み込まれ、くじけそうになる・・・という弱気な心も存在するように感じられる。
だから、きっと自分にはそれを克服できるという明るい希望を持つことで、自分を励まし、慰めようという心理が働いているように思う。
一方、その貧しい青年は、自分なりにいくら努力していても、報われることがなく、どうやってもその宿命に抗えないという厳しい状況がある。
長い間、絶望的な状況から抜け出すことができず、それがもはや日常茶飯となっている者からすると、そもそもありふれ過ぎていて「‘それが’神様からの試練」だなんて発想にもならないだろう。
主人公との間に不公平さを感じたとして不思議ではないし、「選ばれし者」の戯れと、根っからのお嬢様気質の主人公に怒りを感じて当然である。
なんて言うか、「神様は、超えられない試練は与えない」という思考が生じることができるその状況こそが、まだ、幸せのカケラが残っているとでもいうか、むしろその幸運を感謝した方がいいのかも知れないね―――。
そんな風に感じたみちょるびんでした。
以上、みちょるびんでした!