こんにちは、みちょるびんです♪
母・マミーによると、子供の頃のみちょるびんは全然ものおじしない子で、前に出ていくのが好きだったらしい。
みちょるびんの実家は商売をしていて、嫁のマミーはずっと忙しく働いていた。
だから、幼いみちょるびんにかまってはあげられなかった。
それでマミーは、レコードを定期的にレンタルし、みちょるびんに童謡を聴かせていたらしい。
おそらくそのおかげだろう、みちょるびんは子供の頃は歌をたくさん知っていたし、歌うことが大好きだった。
いや、正確に言うと、「歌が好き」という風に自分で認識したことは一度もない。
だけど、よく歌を歌っていたという事実が、そう推察できる。
例えば小学校・中学時代、20分くらいの登下校は歌の時間と化していた。
専ら、テレビで見ていたアニメソングが中心で、感情をこめて抑揚をつけて歌うことで、歌のお姉さんになったような気分になれ、それが楽しかった。
たまに通行人とすれ違うのだけど、お構いなし。
音量を下げるということはしなかった。
大人になってごくまれに、道を歩きながら歌うことがあるけど、さすがにそういう時は悟られないように音量は下げる☆
幼い頃のみちょるびんは、場所をはばからず、どこでも歌っていたらしい。
例えば、バスの中とか。
マミーによると、その時マミーは、みちょるびんを背負って立っていたんだそう。
そしたら、みちょるびんが歌い始めたんだって。
背負われているくらいだから、きっとまだ幼いよねぇ?
それで、隣に立っていたおじさんが感心して、みちょるびんに20円をくれたんだって!
この話はよくマミーから聞かされて知っていたことだけど、その時のシチュエーションは、みちょるびんはてっきり、マミーと隣同士に座っていたとばかり思っていた。
お互いに顔の表情がわかる状況なら、気分がリラックスして、歌でも出そうかなって思ったわけ。
だから、実はマミーが背を向けた状態だったってことに驚いた。
周りは知らない人ばかりなわけだし、そんな状況で、子供って歌うもんなのかなぁって不思議に思った。
まぁ、退屈してたってことなんだろうね。
よく、泣かなかったよね!?
みちょるびんが4歳の時に、地域の催し物で、偉い人を迎える歓迎会が行われたことがあった。
その時、体育館の舞台に一人で立ち「手のひらを太陽に」を大勢の人の前で披露している。
大人って、小さい子供が歌ったり踊ったりするのを喜ぶし、みちょるびんも普段からよく歌っていたから舞台にあげられたみたい。
恥ずかしがったりなんかせず、堂々と大人たちの期待に応えた。
その後しばらくの間、そのお偉いさんの隣に座らされていた。
テーブルには何やらうまそうなご馳走がたくさん並んでいて、でもみちょるびんの前には置かれてなくて・・・。
御馳走がとても気になったことを覚えている☆
小学4年生の時に聖歌隊に入って、3年近く活動したことがあった。
でも、抑揚をつけてポップに歌うアニメソングとは異なり、静かに語るように歌う必要があり、真価が問われた。
結構な高音で、裏声でないと音が出せない。
普段、地声専門のみちょるびんは、それがとても苦手だった。
息が漏れて、ひゅるひゅるした歌声になったし、息も続かなくて苦しかった。
周囲には歌が上手い子たちがいて、自分の下手さを思い知らされた。
ここで、歌に対する自信を喪失したように思う。
だけど、十八番の歌を歌うと、多くの人を圧倒することができた。
大人になって、その十八番で、のど自慢大会で優勝したことがある!
まぁ、外国で開催された小さい規模のものだったんだけどね。
また、転勤した知人から久しぶりに連絡をもらった時に聞いた話だが、その転勤先でみちょるびんを知る人に出会ったんだとか。
みちょるびんのことをプロ級に歌が上手かったと評していたらしい。
その人とはおそらく20年以上も前に一度だけ接点があり、どうもその時に皆でカラオケに行ったらしかった。
そんな昔のことを覚えているだなんて、すごい記憶力!
ってね―――。
ここで、みちょるびんは自慢話がしたいわけではないのだ。
みちょるびんが不思議に思うのは、これまで一度たりとて歌手になりたいっていう風に思ったことはなかったよなぁってこと。
聖歌隊での苦い思い出が、暗く影を落としているってことはあるのかもだが、踊りながら歌手になりきって歌うことで、周囲を喜ばせることは得意だし、楽しい。
だけど、歌なら何でも来い!ってわけではない。
以前、とても自由にいろんな歌を歌える人に出会ったことがある。
とても気持ち良さそうに歌っていた。
そういう才能ある人達を前にすると、歌でいこう!なんて気持ちには到底なれない。
第一、それ以前に、パッションもない。
以上、みちょるびんでした!