こんにちは、みちょるびんです。
なかなか気分が乗らず、「ノープラン方式」で記事を書く気になれないみちょるびんです。
最近の常套手段である「昔、書いた日記」をまた読み返していたところ、変な日記を見つけました。
短い期間ということではありましたが、「宝石鑑別」学校で出会った夢子さんとの出来事。
当時、みちょるびんは「人格者」になりたいという密かな野望があり、理想の人物に近づくために、穏やかでおおらかな振る舞いをするよう心掛けていました(「『人格者』への道。」)。
ところが夢子さんといると、どうにもこうにも、平常心を保てない。
毎回決まって、心をかき乱され、自分の醜い部分をさらけ出す羽目になりました。
確かにみちょるびんは、元来、気性の激しいところがあったという点は認めます(「その後の田鶴美氏。」)。
でも、就職してヒトに揉まれてからは、ヒトとの衝突を裂け、良好な人間関係を築ける‘技’も習得してきたんです。
それだのに!、です!
ましてや「人格者」を目指すという状況があったにもかかわらず!!、ですっ!!
今でも考えたくはないことですが、もしかすると夢子さんとみちょるびんは、性格が似ていたのかも知れない―――。
だからみちょるびんは、写し鏡のような夢子さんに対して過剰に反応し、イライラしていたのかも知れない・・・!?
そんなこと、考えたくもない!!
【ある日の日記】
夢子さんとカフェに行きおしゃべりした。
夢子さんが、以前外国に住んでいたことがあると言っていたので、その話を訊いてみたがはぐらかされた。
逆に、私の話が聞きたいから話せ、と言う―――。
だいたい‘私の話’も何も、夢子さんはいつも自分からベラベラと話をするばかりで、私に話をさせるスキを与えないのだ。
決して私が‘無口’であるのではない。
それに正直なところ、私は彼女と会話をしているとイライラし、意地の悪い気持ちになってくる。
夢子さんの話は結局いつも自己中心的で視野が狭く、その話の趣旨を、こちら側が少しでも彼女の‘好み’に合わない方向で解釈すると、猛烈に抵抗してくる・・・という展開になる。
ヒトの話に聞く耳を持たないとでもいうか、会話が成立しない。
私に対し「みちょるびんは自分とは違って、いい母親、いい妻になると思う」と言う。
私はその真意を疑った。
だって、「妻」にしろ「母」しろ、私が仮になりたいと願ったところで、すぐになれるというものではないからだ。
「そうなるチャンスすらない」という厳しい現実を前にしている私に対して、どうしろというのだろう!?と思う。
私は現在、‘オフィスレディ’という仕事の傍ら、「宝石鑑別」の勉強に励んでおり、将来は自立して「自分の道」を歩みたいという夢を持っている。
そんな私に対して「家庭に引っ込んだ方がいい」と言っているようにも聞こえ、それはそれで不愉快。
夢子さんは自分のことを「わがままで他人に歩調を合わることはせずに、自分のやりたいことを突き進むタイプだ」と言い、一方で私のことは「そのタイプではないと思う」と言う。
これまで私は、ヒトからそんな風な評価を受けた経験がない。
まるで「個性がない」とか「つまんない平凡なヤツ」というレッテルを貼られているかのようにも聞こえ、妙に腹が立った。
確かに最近の私は「人格者になろう」とか「いい人だと思われたい」という密かな願望があり、そういう人物に近づくことを目指して行動しているところはある。
そういった私の行為が、あるいは夢子さんに「丸い人」「枠からはみ出さない人」という印象を与えているかも知れないが・・・。
私の踊る‘即興ダンス’を見れば、私の個性の強さは誰もが認めるところだし(「第一次仕事イヤイヤ期(その140:『最終兵器の身』編)」)、何かくやしい。
夢子さんは、宝石学校の先生たちの‘石’に対する愛情に感服しており、先生たちの姿こそが‘本物’だと言った。
私自身も先生たちのことは尊敬しているし、すごいと思っている。
でも‘情熱’ということであれば、私は誰にも負けないつもりでいる。
私だって「負けていると思われることが不快」に感じるくらい、悔しく思うほどに、‘石’が好きなのだ。
私はまだ、自分は‘学び’の途中にあり、これからだと思っている。
それがわかっているからこそ余計に、夢子さんの発言が腹立たしかった。
夢子さんと話をしていると、話題がいろんな方向に流れていって、何が言いたいのかポイントがつかめないことが多いし、夢見がちでイライラする。
たぶん私は、まだこの会ったばかりの彼女のことを信用しきれていないし、好きじゃないのだと思う。
半信半疑とでもいうか。
夢子さん自身も、自分の考えが定まらないでいるのかも知れないが・・・。
今の私は、六星占術で言うところの「大殺界」という不運な運勢の真っ只中。
この‘どん底’にいる中で夢子さんに出会ったというのも、何かしら意味があるのだと思う。
おそらく、こんな風にストレスを強いられるのも必要な経験なのだろうし、彼女を通して気づかされることも多いのだと思う。
以上、みちょるびんでした!