こんにちは、みちょるびんです。
食事をしている時、ヒトは「味覚」だけではなく「嗅覚」もセットで稼働させています―――。
例えば、風邪などで鼻がつまっているような時に、味がわからない・・・というような経験は誰しもがあると思います。
この事実が示していることは、「味」を理解するには「臭い」も重要なファクターとなっているという点。
ものを口に含んだ時、その香りが鼻に抜けることによって、味の違いをより一層明確化できるのだと思います。
もちろん我々がものを‘味わう’時は、「味覚」と「嗅覚」だけに頼っているわけではない。
生命の危機にもつながりかねない、ものの鮮度の確認などは、それを体内に取り入れる以前に必ず行わねばならない大原則。
その場合は「嗅覚」もさることながら「視覚」が大いに働きを見せることになる。
正常な状態では見られない、赤や青や黄色いものが表面を覆っていたならば、やっぱりそれは敬遠した方がいい。
そういった根本的な基本的条件をクリアしていたものであったとしても、いざ口に運ぶ際には、盛り付などのデコレーション等を「視覚」で捕らえることで、より一層、その味わいに華やぎを添えるという効果がもたらされる。
もちろん、口に含んだ時の舌触りや歯ごたえなどの「触感」も大切だし、咀嚼音が「聴覚」を心地よく刺激してくれる場合だってある。
あるいは、トクトクとグラスに注がれる飲み物の音や、ジュ―ッと油が弾ける音、カランカランと氷がぶつかる音などが、BGMとしてその場を盛り上げてくれる場合もあるわけで、それらは「聴覚」に働きかけてくる名脇役でもあるわけ。
要は、食事の際は「五感」全てをフル回転させているということ。
「味覚」だけが大事だとか、そういうことではないのだと思います。
たまに、大人数で食事している際に、デザートのムースなどについて、それが何味なのかを議論する場面に出くわすことがあります。
‘味’だけでは判断がつかず、「マンゴー」だとか「杏子」だとか意見が分かれるわけですが、こういう時、みちょるびんは意外にそれを言い当ることが多い。
このようなシーンは頻繁にあるわけではないし、あるいは毎回その場に居合わすメンバーが同じとは限らないので「みちょるびんは味覚が鋭い」ということを見過ごされがち。
もちろんみちょるびんもそれを、わざわざ誇示するようなことはしませんが、だけど人知れず、地味に自慢に思っています。
また、料理人の交代を鋭く察知できたというような実績も、その自信を深める要因だったりします☆(「アジアンレストラン事情。」)。
ところが最近、みちょるびんの自信を揺らがすような出来事が起こり始めました。
物知り顔で発した発言が、どうやらそうではないらしいということが起こり出した。
年齢を重ねると、嗅覚に衰えが出てくるとも聞くし、いよいよそういう現実がみちょるびんにも襲いかかって来たのかと、寂しい気持ちになります。
ある時職場で、誰も使っていない古いロッカーを前に皆で話をしている時に、そのロッカーのドアを開けた若者が「うわ、臭いっ!」と言ってゆがんだ表情を見せたことがありました。
別の若者もそれに同調していたのですが、実のところ、みちょるびんにはその酷さがわからなかった・・・。
自分の嗅覚の衰えをまざまざと感じさせられた出来事でした。
だけれどみちょるびん、どうしても「老化説」に抵抗したい―――。
負け惜しみに聞こえそうですが、「臭さ」がわからなかった原因として思い当たることがあります!
そこには、みちょるびん家の洗濯事情が隠されている。
みちょるびん家の洗濯機は、さほど古いものではなさそうなのですが、白状すると、変な臭いがしている。
今の家に入居したのは、借り手としてはみちょるびんが初めてで、どうやら長い間洗濯機を動かしていなかったという実態があったらしい。
それで使い始める前に、何回か空洗いしたりもしたのですが、臭いが完全に収まることはなかった。
がまんできないほどではないので、結局そのまま洗濯機を使っていますが、それでもやっぱり気になる臭い・・・。
柔軟剤を使ってみても、タオルなどには微妙にその匂いが染みついてしまっている。
と、なるとですよ?
みちょるびんはそのタオルで体を拭いているし、寝具だって服だって、それで洗ったもので身の周りを固めているのです。
家の中のあらゆるものが、その洗濯機で洗濯したものなのですから、全てのものがその匂いに冒されていたとしてもおかしくないんじゃないか!?というのがみちょるびんの主張。
日本に一時帰国した際に、日本の家族からは特段にそのような指摘はなかったので、一応大丈夫だろうとは信じているが、たまに自分は臭いんじゃないかって心配になることがある・・・。
そんな一抹の不安を抱えた中でのロッカー事件。
「臭っ!!」とみんなが嫌がっている中、みちょるびんは別の臭いに強力にコーティングされているから、その臭いを嗅ぎ分けられなかったんじゃないか・・・と、希望的観測を持っていたりもするわけ。
つまり「老化」によるものではないと!
知り合いに、人一倍、鼻が利くという人がいるのですが、とある建物のホールが臭くて仕方がなかったという話を聞きました―――。
実はみちょるびんも、その建物にいたことがあったのですが、その時みちょるびんは一切、その‘匂い’とやらに翻弄されることはなかったので、とても驚きました。
その人が最近また、その匂いを確かめるために、その建物を訪問したのですが、そのホールに到着する前から既にその臭いが漂っていて、我慢ならなかったと言うのだから、本物。
その人の嗅覚の鋭さに感服した次第です。
みちょるびんは普段から「匂い」に意識を集中させて暮らしているわけではないし、意識を向けないことにはその匂いに気づかないということもあるはず。
当時その建物内では、みちょるびんは別のことに神経を張り巡らせていたので、それでその匂いに気づかなかったのだ・・・と信じたい。
だから近々、その建物に行って、自分の「実力」を試してみたいと思っているところ。
その人がいうように、そこで不快な臭いを嗅げたなら、まだ嗅覚はさほど衰えていないということが証明されるし、そうでない場合は―――。
潔く「老化」を受け入れようじゃない。
以上、みちょるびんでした!