こんにちは、みちょるびんです♪
前の週の金曜日に急遽、翌1週間の夏休みをとることになったみちょるびん。幸運にも空きが出ていた寝台特急「サンライズ出雲」の寝台Aのチケットをゲット、それを発端に出雲旅行を計画した。結局は「サンライズ出雲」は運休となり乗れなかったが、代わりに飛行機に切り換え旅行を決行。当初の予定ではJR出雲市駅からその日宿泊予定の「日御碕灯台」までは、直通バスで移動することを考えていたが、バスは途中の「出雲大社」までしか行かず、2時間の空きを埋めるためにタクシーを利用した。そうして出かけた日御碕では存分に観光を満喫、翌日は急遽船を出してもらえることになり、日御碕湾遊覧とレジャーフィッシング客のお迎えを体験。「出雲大社」でのお詣りを終えて、迎えた3日目は「石見銀山」に移動。ワンコインガイドツアー「龍源寺間歩コース」に参加し、カフェでの休憩を挟んで大森の町並みを散策。ぎんざんカートで宿屋に戻ってからは、最終日の計画を立てた。旅行最終日は、「世界遺産・大久保間歩一般公開限定ツアー」に参加することになった。
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「石見銀山」で一般公開されているのは、常時公開されている「龍源寺間歩」と、人数制限されたツアーによる「大久保間歩」の2カ所のみ。
「大久保間歩」は「石見銀山」遺跡の中でも最大級の坑道で、全長は900mもあり、そのうち約175mが公開の対象となっている。
坑内の高さは最大で5mと言われる高い入り口が特徴的なこの坑道は、徳川幕府より「石見銀山」の監督を任じられた初代奉行・大久保長安(1545~1613)が槍を持って馬に乗ったままで入ったという伝承が残されており、大久保長安にちなんで「大久保間歩」と名づけられたのだそう。
縦約1.8m、横幅1.5mの坑道の入り口は、直径90cmくらいの栗の丸太で四本柱を組んで、土石が落ちないように安全対策がはかられたそうだが、とても馬に乗って入れるほど天井が高いとは思えない。
大久保長安が利用していたのは、別の入り口だったということか!?
さて、坑中は「龍源寺間歩」と同様に10℃で、外気30℃の中を歩いて来たみちょるびんにはとても涼しく感じられた。
ヘッドライトで照らされた薄暗い足元には木が飛び飛びに横に並行に埋められていて、その木と木の間には水たまりができていた。水を跳ね返して洋服を汚すことがないように注意深く歩いた。
帰りの時にガイドさんから、その足下の木は実は明治時代のトロッコの枕木だと聞かされ、貴重なものなのでその上を歩かないようにと言われたが、もう遅い。
坑道は湿潤であるため、その環境が枕木を腐食の敵となる空気から守ってくれているのだそう。
もっと驚いたのは、壁際の水たまりの中にエビが生息していたということ!
立ち止まって水の中を観察してみると、5mmくらいの白っぽい糸のようなものがうごめいているのが見えた。
あとで調べるとどうやら「チョウセンメクラヨコエビ」(端脚目: メクラヨコエビ科)と呼ばれる生物らしく、一般的なエビ類とは異なるようではあった。
それにしても、こんな山の上の穴ぐらの中にどうやってこの生命体が生まれ、生きて来たのか不思議だったし、学者というのは、こんな小さな生き物すら見逃さないものなんだなということに感心した。
坑内の壁面には、江戸時代のノミやハンマーで掘られた跡が残っており、時間がかかった分、手作業による丁寧さが際立っていたが、明治に入ると火薬を使って爆破させるという荒行を行っていたのだそうで、そういったエリアでは荒く殺伐とした感じがした。
一度、装着していたヘッドライトの灯りを全員で消してみたことがあった。
坑内は漆黒の闇に包まれた。
かつては、螺灯(らとう)と呼ばれるサザエの殻に油を入れた灯りだけで作業していたというから、よくは見えてなかったんじゃないかと思った。
このツアーでのハイライトは「福石場」(ふくいしば)だろう。
江戸期から明治期にかけて銀鉱石が採掘された跡が残る坑内最大級の採掘場、「石見銀山」の心臓部と言われている場所である。
高さ20m、奥行き30m、幅15mなのだそうで、落石や転落防止などの対策を施し、2017年であった世界遺産登録10周年の7月に公開を開始したのだそうだ。
やはり、その巨大な空間には驚かされた。
上に上にと掘って行った形跡も残っていて、左右に渡して踏み台にしていたという横木も残されていた。
見学を終え、外に出てから、借りた長靴やヘルメットなどを「大久保間歩管理棟」に返却した。
皆が支度ができるのを待っている間、「大久保間歩」の入り口の写真を撮ろうとカメラを向けると、一瞬、白い冷気に包まれたような気がした。
ガイドさんによると、「400年前の風が吹く」と言っていた辺りでは、間歩から流れ出た白い冷気がモクモクと運河を作ることもあるのだそうで、その神秘的な光景を見てみたいと思った。
山を下る時も、ガイドさんは器用に後ろ向きになって歩きながら、時折フリップを取り出しては説明を惜しまなかった。そのプロ根性には感服した。
原田駐車場に下りて来た時は11:30を回っていたんじゃないか。ちょうど次の11:00の回のグループが待機しているところだった。我々のグループよりも参加者が多いようだった。
バスの送迎も無駄なくピストンできるように計算されているらしい。
日はだいぶ高くなっており、こらから登るともっと暑いに違いない。みちょるびんには選択の余地はなかったものの、朝一の回で良かったと思った。
ガイドさんは帰りのバスの中でも、持てる知識を余すことなく教授してくれた。
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!








