こんにちは、みちょるびんです♪
前の週の金曜日に急遽、翌1週間の夏休みをとることになったみちょるびん。幸運にも空きが出ていた寝台特急「サンライズ出雲」の寝台Aのチケットをゲット、それを発端に出雲旅行を計画した。結局は「サンライズ出雲」は運休となり乗れなかったが、代わりに飛行機に切り換え旅行を決行。当初の予定ではJR出雲市駅からその日宿泊予定の「日御碕灯台」までは、直通バスで移動することを考えていたが、バスは途中の「出雲大社」までしか行かず、2時間の空きを埋めるためにタクシーを利用した。そうして出かけた日御碕では存分に観光を満喫、翌日は急遽船を出してもらえることになり、日御碕湾遊覧とレジャーフィッシング客のお迎えを体験。「出雲大社」でのお詣りを終えて、迎えた3日目は「石見銀山」に移動。ワンコインガイドツアー「龍源寺間歩コース」に参加し、カフェでの休憩を挟んで大森の町並みを散策。ぎんざんカートで宿屋に戻ってからは、最終日の計画を立てた。旅行最終日は、「世界遺産・大久保間歩一般公開限定ツアー」に参加することになった。
~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・☆~
バスは原田駐車場にて下車。
駐車場のすぐ近くにはトイレがあった。
ガイドさんから、ここがお手洗いに行く最後のチャンスだと告げられた。
30分滞在予定の「大久保間歩」の坑内は10℃と寒く、体が冷えてトイレに行きたくなる場合もある。
気になる人は済ませておいた方がいいということだった。
集合時間の前にお手洗いは済ませていたし、バスの乗車直前にトイレに駆け込む人たちを横目に、涼しい顔をしてバスに乗り込んだみちょるびんだった。
だが、最後にトイレに行ってからそろそろ1時間近くが経過しようとしていた。
また麓に戻って来るのに1時間半くらいはかかるし、やっぱりもう一度行っておくことにした。
何人かの女子が一斉にトイレにかけこんだ。
手を洗いに洗面台に行くと、おばあさんがもたついていた。
それを待っていては遅くなると思い、手を洗わずに外に飛び出た。
用を足す際に外したウインドブレーカーを再び腰に巻きつけたかったのだ。
夏の外気と間歩坑内では温度差が激しいので、ウインドブレーカーは、中に入るまでは着用しない方がいいと、ガイドさんにアドバイスされていた。
ポケットに入れていた携帯電話の重みで垂れ下がるウインドブレーカーをしっかり固定するには手に持っていたミネラルウォーターや杖が邪魔だった。
誰かと一緒なら、持ってもらうこともできるが、みちょるびんは一人。
足下に置くなどして両手をフリーにする必要があった。
そうして急いで列に戻った。
いよいよ登山開始である。
と言っても最初の数十メートルはアスファルト道。
トイレに近い場所に「本谷口番所跡」があった。
ガイドさんから説明を受けたはずだが、ちっとも思い出せないみちょるびん・・・(- - ☆)。
ネットによると、17世紀初期に、江戸幕府が「石見銀山」を直接管理するようになると、銀山の周りには柵が設けられ、すべての出口にはこの‘番所’が建てられたんだとか。
「本谷口番所跡」はその中の1つで、「石見銀山」を出入りする人や物の流れを管理していたのだそう。
「本谷口番所跡」には建物の跡は一切残っていないが、道端にある小さな土塁がその場所を示しているとのこと。
その土塁と思われるあたりに、「お仙稲荷大明神」の幟が無数に立っていて、みちょるびんにはそちらの方が印象的で、写真に収めた。
その稲荷神社のことがよくわからなかったので、家に帰ってから改めてネットで調べてみたのだが、画像はあっても神社に関する記載はとうとう見つけられなかった。
ネットの画像には、みちょるびんのそれにはない赤い鳥居が写っていた。
大田市では2018年に大きな地震があったそうなので、その時に倒壊したのだろうか・・・???
結局、その謎は解明できなかったのだった。
みちょるびんはそもそも、この「世界遺産・大久保間歩一般公開限定ツアー」に参加して山歩きをすることになるとは夢にも考えていなかった(「出雲旅行!(35.新たなる野望)」)。
みちょるびんがその出雲旅行に日焼け対策として用意していたのは、日傘と日除け止めクリームだけで、帽子は持っても来ていなかった。
このツアーではカメラと飲み物以外の持ち込みは禁止されていたので、当然、日傘なんてない。
山の中を歩くのだろうから、日射病のことはあまり心配はしていなかったが、でもきっと日焼けは免れないだろう。
塗りたくってきた日焼け止めクリームだけが頼りだった。
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!
