こんにちは、みちょるびんです♪
前の週の金曜日に急遽、翌1週間の夏休みをとることになったみちょるびん。幸運にも空きが出ていた寝台特急「サンライズ出雲」の寝台Aのチケットをゲット、それを発端に出雲旅行を計画した。結局は「サンライズ出雲」は運休となり乗れなかったが、代わりに飛行機に切り換え旅行を決行。当初の予定ではJR出雲市駅からその日宿泊予定の「日御碕灯台」までは、直通バスで移動することを考えていたが、バスは途中の「出雲大社」までしか行かず、2時間の空きを埋めるためにタクシーを利用した。そうして出かけた日御碕では存分に観光を満喫、翌日は急遽船を出してもらえることになり、日御碕湾遊覧とレジャーフィッシング客のお迎えを体験。出雲市に戻ったあとは、「出雲大社」でお詣りをした。そして3日目は「石見銀山」に移動した。そこで急遽、ワンコインガイドツアーに参加することになった。
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「龍源寺間歩」に到着した時、時刻は12:00になろうとしていた。
「石見銀山公園」を出発したのが10:30だったから、2.3kmを1時間半かけて歩いて来たということになる。
出発時にガイドさんが渡してくれた氷の保冷剤はとっくの昔に溶け切っていた。
上り坂も緩やかだったし、休憩を挟みながらゆっくりと歩いたので、思っていたよりもキツくなかったので助かった。
ガイドさんによると「ヘビノネゴザ」というシダ植物は、貴金属を含む土壌でも育つ性質を持っていて、金や銀の鉱山発見の手がかりになったという話だったが、「龍源寺間歩」の坑口周辺にはシダが生えていて、どうやらそれが「ヘビノネゴザ」ということであった。
外観からは一般的なシダとの見分けがつきにくいと感じたが、ガイドさん曰く、一般的なシダは冬になると枯れるが、この「ヘビノネゴザ」は枯れないとのことで、そこで識別できると地元民ならではの知識を披露してくれたのだった。
「龍源寺間歩」は世界遺産である石見銀山遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道である。
早速、受付で入場料を支払って中に入った。
暑い中を汗だくで歩いてきたせいか、坑内はとても涼しく感じられた。
気温は10℃くらいとのことだった。
例えば日本の3大鍾乳洞の1つである高知の「龍河洞」などのように、鍾乳洞だとかは15℃くらいというイメージがあったので、「龍源寺間歩」は格別に気温が低いように思った。
しかし改めてネットで調べてみたところ、同じく3大鍾乳洞の1つである岩手の「龍泉洞」は10℃くらいだそうだから、「龍源寺間歩」が特別に低いということではなさそうだった。
みちょるびんは結構な鍾乳洞好きで、海外も含め、時間があれば大抵のところは攻めてきたわけだけど、「龍源寺間歩」はこれまで経験した中で体感的には一番寒く感じられたのだった。
当時、間歩における作業時間は5時間ということであったが、こんなに寒い場所に5時間もいれば体は冷えるし、そりゃあ病気にもなるだろう!と思った。
「龍源寺間歩」は江戸幕府が直営した「御直山」(おじきやま)の1つで、1,000カ所近くある「石見銀山」の間歩の中でも重要なものの1つであったとのこと。
入口には番所が設けられ、役人の詰め所や銀鉱石置場があり、坑道内は厳重に見張られていたそうだ。
長さは600mに及び、「大久保間歩」に次ぐ大坑道で、良質の銀鉱石が多く掘り出されたらしい。
閉山したのは昭和18年と言われており、開坑された江戸時代中頃から約230年もの間、開発が行われていたとのこと。
現在では、坑口から約 157mまでが見学できるようになっており、間歩の壁面に残る当時のノミの痕や、鉱脈に沿って横に掘り進んだ痕、排水のために100mも掘られた竪坑などを見学できるようになっている。
出口付近には石見銀山絵巻等が展示され、当時の作業の様子などが詳しく紹介されていた。
皆と一緒で、ゆっくりと見ることはができなかったので、写真に収めるようにし、それが理解を深めるのに役に立った。
絵巻からは、間歩ではいろんな人が働いていたことがわかった。
どうしても鉱石を掘る堀子人夫に着目してしまうが、堀子人夫の他にも、捨て石や、坑内の支木(ささえぎ)の替え木や留木(とめぎ)を運搬する者、天井の土砂を留めたり、支柱を設ける作業をする者、坑内の湧水を木製ポンプを使って引き揚げて疎水坑に流す者、唐箕風箱(とうみかぜばこ)で坑外の風を坑内に昼夜送る者などがいて、興味深かった。
1時間半かけてやってきたワンコインガイドツアーのクライマックス「龍源寺間歩」であったが、見学したのは正味10分くらいだったと思う☆
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!









