こんにちは、みちょるびんです♪
前の週の金曜日に急遽、翌1週間の夏休みをとることになったみちょるびん。幸運にも空きが出ていた寝台特急「サンライズ出雲」の寝台Aのチケットをゲット、それを発端に出雲旅行を計画した。結局は「サンライズ出雲」は運休となり乗れなかったが、代わりに飛行機に切り換え旅行を決行。当初の予定ではJR出雲市駅からその日宿泊予定の「日御碕灯台」までは、直通バスで移動することを考えていたが、バスは途中の「出雲大社」までしか行かず、2時間の空きを埋めるためにタクシーを利用した。そうして出かけた日御碕では存分に観光を満喫、翌日は急遽船を出してもらえることになり、日御碕湾遊覧とレジャーフィッシング客のお迎えを体験。出雲市に戻ったあとは、「出雲大社」でお詣りをした。そして3日目は「石見銀山」に移動した。そこで急遽、ワンコインガイドツアーに参加することになった。
~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・~☆~・☆~
大森小学校のすぐ近くに「下河原吹屋跡」(しもがわらふきやあと)があった。
ここは「石見銀山」最盛期である17世紀前半頃に操業されていた大規模な銀精錬所(吹屋)跡なのだとか。
当時吹屋では、運ばれた鉱石を選鉱して、これを吹床(ふきどこ)で鉱石分を溶かして銀を採り出すということを行っていたとのこと。
製錬する前の行程として、鉱石を砕く作業を行っていたそうだが、「下河原吹屋跡」にはその作業台として用いられていた「かなめ石」も残されていた。
石を打ちつけられたせいなのか、言われてみると確かに石の表面が丸くすり減っていた。
一見、なんの変哲もない石であり、ガイドさんに教えてもらわなければ見過ごしていただろう。
この粉砕作業の次に、取り出した鉱物部分を、水を張った半切桶の中で水洗いし、底にたまった土砂や細かく砕かれた鉱石を「ゆり盆」という栗の木で作られた盆に入れて水の中でゆっくりと揺する比重選鉱が行われたとのこと。
これは各物質の比重の差を利用したもので、銀を含んだ鉱石が他よりも重く盆の底に沈むことから、不要な土砂や岩石から分けることができたのだった。
その後はいよいよ「灰吹法」(はいふきほう)という製錬作業に移行することになるわけだが、この「灰吹法」が朝鮮の吹工から「石見銀山」に伝えられたのが1533年。
実はそれまでは、日本には精錬技術がなく、中国(当時は明)や朝鮮に製錬を頼らざるを得なかった状況があったのだそう。
だからこの技術を習得したことで、鉱石を博多や朝鮮半島に運搬する手間が省け、現地において良質の銀を生産することが可能になったのだった。
やがてこの精錬技術は日本全国に広まっていき、16世紀から19世紀にかけての300年あまりの間、日本の産金、産銀を支え続けることになったと言う。
1500年代と言えば、スペインとポルトガルが世界貿易を拡大していた時期で、当時、銀は、世界で最も需要のある商品だったとのこと。
石見の銀は、主にポルトガル人の手によって取引され、1500年代後半には世界中で取引された銀の総量のうち、少なくとも10%は石見産のものであったことが推測されているんだとか。
ポルトガル人は石見で得た銀を明の生糸と引き換えてヨーロッパに持ち帰り、ヨーロッパに富をもたらしたわけだが、「石見銀山」の銀が世界経済の潤滑油の役割を担っていたという歴史が大きく評価されることとなった。
2007年に「石見銀山とその文化的景観」は世界遺産に登録されたが、いわば、高純度の銀の大量生産を可能とした「灰吹法」は「石見銀山とその文化的景観」を世界遺産に押し上げた立役者の1つということになる!
最後に、「灰吹法」を簡単にご紹介。
まず、銀分の濃くなった鉱石に鉛を加えて溶かし、貴鉛を作る。その貴鉛を、鉄鍋に灰をいっぱい詰めたような形式の灰床で、炭火で熱すると、鉛は酸化され灰に吸われて沈み、含まれていた銀が灰床の中央に残されて灰吹銀となる。
そうしてこの作業を繰り返すことで、灰吹銀の純度を上げていき、最終的に「石州銀」(せきしゅうぎん)を製作していたとのこと。
「石州銀」とは、16世紀後半に「石見銀山」で産出していた銀で造られた丁銀(ちょうぎん)――日本国内において主に商取引用として流通した銀貨――のことで、毛利氏の領国貨幣とされるものである。
長楕円形をした板状で、いわゆるなまこ型の丁銀に先行するタイプなんだとか。
現存する例は少なく、しかも完全な形で伝わることは極めて稀とのこと。
そんな貴重な「石州銀」の展覧会がかつて「島根県立古代出雲歴史博物館」で開催されたことがあったらしい。
「石見銀山」が世界遺産登録された翌年の2008年に、登録1周年を記念したものだったよう。
「石州銀」の完全品を収集されていた関西のコレクターからの一括寄託を受けて実現したものだったそうで、コレクターさんの心意気がカッコいい。
あー、みちょるびんも「石州銀展」に行きたかった!!
(つづく・・・)
以上、みちょるびんでした!

