こんにちは、みちょるびんです。
【滞在6目の日記】
昨夜は、日記は書かずに寝たので、いつもより多めに睡眠をとることができた。
友子のハエ退治のお陰で、安眠できたというもの。
朝は、特にシャトーの庭園を散歩することもせず、朝食だけを済ませてチェックアウトした。
ちょっと勿体ない気もしたが。
今日はアン・シュール・レッスにある「アンの洞窟」に行く。
鈴子は、以前、このツアーに参加したことがあったが、体質にあまり合わなかったのだそうで、今回はパスすることになっていた。
だから、私と友子の二人だけで参加した。
私は雨合羽のようなウィンドゥブレイカーを着ていたが、友子は、長袖ではあるが、Tシャツだけだった。
今日の天気は曇り空で、肌寒く、洞窟の中も寒いのではないかと心配された。
洞窟の入り口までは、オープンの列車で移動した。
乗車中、男の人がやってきて、乗客の肩の上にオカメインコを乗せて、一人一人写真を撮った。
私たちも例外ではなかった。
オカメインコが肩に乗った時は、ちょっとうれしかった。
おやじの策略にまんまとはまり、私は、洞窟とは無関係の、オカメインコとの記念写真を後で買ったのだった。
洞窟の入り口に着いてみると、他のツアー客が、一列に並んでいた。
私は、わけがわからず、列の後ろに並んだのだが、友子が、ツアーガイドの使用言語毎に分かれているようだと説明してくれた。
なるほど。
何気に並んだ列は、’Netherlands’となっていた。
つまり、オランダ語。
英語は、確かに、友子の言う通り、ガイドブックにもその案内はなかったように記憶している。
それ以外の言語は、ドイツ語とフランス語。
友子は、「どうせ、どの言葉もわからないのだから、オランダ語にしよう」と言い、楽しんでいるようだった。
私は、少し、不安に思った。
オランダ語では、最低限の’Yes’、’No’さえもわからないのだ。
大丈夫だろうか・・・?
しかし、別に、’Yes’、’No’がわかっていなくても、特に支障はなかった。
ところどころ、見学コースの見せ場と思われるところでは、足を止め、ガイドのお兄さんが、説明をしてくれた。
我々には、ちんぷんかんぷん。
大抵、説明の終わりには、客がどっと声をあげて笑ったり、「ほうっ」と感嘆の声を漏らすのだった。
説明の内容そのものよりも、どういう話のくだりになっているのか、お兄さんの話術の方が私は気になった。
残念。
客の中には、家族連れの者もおり、母と子で「クルッポー」と言っていたのが面白かった。
ハトの鳴き声を練習しているかのように聞こえた。
ただし、「クルッポー」が、世界共通語なのかは不明であるが。
中には、ミニスカの4人娘もいた。
(君たち、寒くないですか?)
洞窟を甘く見ているのか、気軽な格好の人もいるもんだ。
光のショーみたいなものがあり、最後は、ボートに乗って外に出た。
どうだろう。
期待していたほどではなかったかも・・・。
解説がわからなかったせいか?
これまで見たことがある鍾乳洞の方が、より感動した記憶がある。
あるいは、’慣れ’が出てきたのか!?
まぁ、楽しんだがね。
往路と同様、帰りも列車に乗るのかと思っていたが、そうではなかった。
帰りはそのまま’歩き’らしかった。
とりあえず、歩き出したら、向こうの方のベンチに鈴子が腰かけている姿をすぐに発見できたので良かった。
鍾乳洞の入り口と出口の場所が異なるようだったので、外で待っている鈴子とすぐに会えないのではないかという心配もあったのだ。
鈴子も、ツアーの帰りは列車を利用しないことを知り、ここまで移動してきてくれていた。
良かった。
洞窟内では、友子はとても寒かったようだが、外に出たら、とりあえず、大丈夫になったようなので、良かった。
私たちは、近くで軽くランチをとり、次の目的地である「ヴェーヴ城」に出かけた。
「ヴェーヴ城」は、私が、一番関心のあった観光スポットである。
鈴子に、「何故?」と訊かれた。
私が「ヴェーヴ城」に対し、インスピレーションか何か、特別な’感覚’を感じ取ったように思ったようだった。
何故なのか?
それは、ガイドブックで見た写真が、おとぎ話の「眠り姫」等に出てきそうなお城だったから―――☆
私はこれまで、ロシア等、他の国でも、’お城’と呼ばれるところを訪れたことはあったが、いわゆる、’塔’や’尖塔’がある’ザ・お城’というような造りのものは、今回が初めてだったのだ。
それに、石造りというのもいい。
「ヴェーヴ城」は、本当に、写真そのままの外観で、緑の丘の上に建っていた。
想像していたよりも、小さかったのが意外であったが。
さすがに、ガイドさんは、日本語はしゃべらなかったが、代わりに、日本語で書かれた説明書を渡してくれた。
私は、一つ一つ、丁寧に、お城の中を観察した。
「もしかすると、何かを思い出すかも知れない」とも思ったからだ。
遠い、前世の記憶・・・。
しかし、何も感じるところはなかった。
おそらく私は、ここの人間ではなかろう。
あはは。
鈴子の作成したスケジュールでは、ホテルを朝9時に出発することになっていたのだが、そもそも、ホテルの朝食の開始時間が、その9時からであり、朝食をとってから出発したため、全体的に、日程が、1時間遅れとなっていた。
しかし、思いの外、私たちはスムーズに行動できていたので、危ぶまれていたディナンへの立ち寄りが、鈴子より許可された。
良かった!
ディナンでは、川下り体験もできるが、さすがに、それは時間がない。
しかし、ロープウェーで、シタデルに上ることはできそうだった。
今日は、ちょうど、ベルギーの建国記念の祝日だった。
そのせいか、街の中央にある橋には、ベルギー国旗やユーロ旗などが掲げられていた。
イベントも開催されており、たくさんの人でにぎわっていた。
私たちは、青い色のロープウェーでシタデルに上った。
急な勾配を一気に登るロープウェー。
下を覗いていると、ちょっと怖いほどだった。
シタデルの高台から眺める風景は、最高に美しかった。
私は、身を乗り出して、写真を撮った。
私は、どうやら、殊の外、ロープウェーが好きらしい。
特に、ロープウェーのショットを多く撮った。
心底、来れて良かったと思った。
ガイドブックに載っていたディナン名物の魚の形をした堅焼きビスケットや、銅製品が購入できなかったのだけが心残り。
祝日で、土産物店もお休みなのだ。
今回の旅行は、ことごとく、ショッピングに縁がない。
自分の日常品ばかり買って、まだ、土産らしいものは何一つ買えていない。
残りあと1日の滞在だというのに。
大丈夫か・・・!?
ナミュールにあるホテルに到着したのは、18時半近くだっただろうか。
シタデルの山の上に建つシャトーホテルだった。
同じシャトーホテルでも、昨夜のそれとは、印象が違った。
ディナーも、昨夜ほどに正装である必要はなかろうと鈴子が言うので、皆、トーンダウンした装いをした。
私は、せっかく持って来たので、ミニスカにした。
食事は、わたし的にはとてもおいしかった。
ずっと肉が続いていたので、魚にしたのだが、なかなかいけた。
しかし、私たちの気を引いたのは、そのおいしい食事よりも、若いボーイたちだった。
どうやら、このホテルで研修を受けているらしく、一様に、十代の子たちに見えた。
実際に、動きも落ち着きがなく、キョロキョロと客に目を配っている割に、落ち度が多かった。
私たちは、特に、一人のお気に入りの子を見つけ、彼の様子を観察し、楽しんだ。
食事を終え、私たちは、部屋に戻るために、そのまますぐにエレベーターに乗り込んだ。
ちょうど、レストランを出たところで、お気に入りの彼の姿を見かけたのだが、目的のフロアでエレベーターのドアが開いたら、目の前に彼が立っていたので、驚いた。
もらい忘れた明細書へのサインのために、私たちを追いかけ、階段を駆け上ってきたらしかった。
友子は、レストランを出た時に、ちょうど彼の様子を見ていたのだそうで、エレベーターに乗る我々に追いつくまでの、一連の動きが可笑しくて仕様がないという感じだった。
さて、今夜は、鈴子も、一緒の部屋で寝るので、日記を書くのは、遠慮することにしよう。
ベッドの硬さはいい具合だった。
以上、みちょるびんでした!