こんにちは、みちょるびんです。
みちょるびんのある日の日記:記憶の糸
昨夜、ひょっとあることを思い出して、過去の日記を読み返してみた。
(この前のスイス旅行で)ジュネーブにある「パテック・フィリップ美術館」に行った際、無料のブックレットが積んであった。それを手に取ってみたとき、その表紙の色合いに見覚えがあると思ったのだ。
考えてみると、何年か前に友達と六本木ヒルズで行われたアンティークウォッチの展示会に出かけたことがあったのを思い出した。
それで、ファイルしてあったその時の‘チラシ’を確認してみたところ、確かに、2004年9月に「パテック・フィリップ展」を訪れていたのだった。
まず、それが記憶から抜け落ちていた点にショックを受けたが、他方で、作品の方からその記憶を手繰り寄せることができたという点は、ちょっと嬉しくもあった。ファイルの中には、私宛の封筒も入っていた。
ただ、どういう経緯でこの展示会に行くに至ったのかは思い出せなかった。それで、当時の日記帳をひもとくことになったわけである。
日記には、その経緯もきちんと記されており、我ながら感心した。読んで思い出したが、たまたま立ち読みした女性月刊誌に案内が出ていて、事務局に電話し、招待状を取り寄せたということだった。
実は、展示会自体にはさほど感銘は受けなかったようだ。それは展示の規模が期待外れだったせいだ。ただ、‘月’のデザインの時計のことは素敵だったとコメントしており、今回、ジュネーブで見た同じ月の時計を見たとき、「あれっ?」と思ったのだ。そしてあともう一つ、ブックレットにも載っていた赤い実のデザインのものも。
私は、改めて、日記を書いていてよかったと思った。その他のページもペラペラめくり、3年連続で正月に帰省したときの日記も読み返してみた。両親の様子など、思わず笑ってしまうところもあった。しかし、多忙な日常の中で、忘れてしまっていた。些細な事柄や、些細な感情は、押し寄せる新しい記憶に次々と追いやられ、あの大切なひとときだったはずの記憶すら、消滅してしまっていたのだ。
私は、本当に記憶力がないのだろうか? 関心が薄いのだろうか??
先日、スイスの旅行先で親友二人と思い出話をしていて、一人がすい炎になった時の話しが出た。
残る二人でその子を病院に連れて行ったそうだが、これも思い出せず。そして、私は、エスパーのおじさんに電話し、その子の容態を占ってもらったのだそう。病院の診断では、単なる風邪だったが、おじさんは、もっと重大な病気であると言っていたそうで、それを伝えてきたと。それも、全く記憶がない。
それにしても、この私の行動は実に私の性格を表していて、我ながら笑ってしまったが。そういえば、実家の大事な書類の紛失騒ぎのときも、和尚さんにその所在を電話で占ってもらったんだった。
しかし、それもこれも、記憶の闇だった。もったいない話しである。
私は他人に対して関心がないのか? 薄情なんじゃないかとすら感じられ、ばつが悪いのだが、2つのことが考えられると思った次第。
一つは、自分のことで、変化が多すぎて、とても記憶が追い付かないということ。
私はいろんな刺激を受けたいという気持ちが強く、いろんなことをやっている。ダンスにしても、デッサンにしても、それぞれイベントもあるし、私は毎回興奮し、これらは強烈な印象として思い出に残っているのだ。その他にも、海外旅行から、帰省、小旅行も含む旅もいい刺激だし、映画、観劇、宝石、アンティーク、いろいろな芸術にもたびたび触れている。その他、親しい人の死など、考え出すと、いろんな刺激の中で人生と言ってしまってもいいのか、ときを過ごしているわけだ。最近では、恋愛・・・(!!!)
こう考えると、いろんな感情が次から次へと湧いてくるから、どんどん記憶が塗り替えられていっても仕方がないのかも知れないという気になってきた。
そして、もう一つの考えは、私自身、考えることが好きだから、思い出すという記憶の繰り返しの訓練を怠っているために、忘れっぽいのではないかということ。
いずれにせよ、忘れても仕方がないということ、だから今、この思いを大切に記録したいということだ。
「パテック・フィリップ」の件は、ちょっと’縁’を感じた。
2年前に偶然雑誌を立ち読みしたことをきっかけに、展示会に出かけ、そして今回、ジュネーブの本家を訪れることができたこと。ハプニングのあったおかげで、きちんと見る時間が作れたこと。そのおかげで、2年前との記憶がつながったこと。私の自慢の時計によく似たデザインの時計の発見も、同様に縁を感じずにはいられない。
以上、みちょるびんでした!