こんにちは、みちょるびんです。
昔、たくさん残業することが良いとされた時代があり、徹夜等の’疲れ自慢’をしている男性同僚に対して、みちょるびんは、「そんなのむしろ、格好よくない」と思っていたわけですが、そのくせ、自分は、’メンタル’自慢をする’きらい’があります。
残業という質量よりも、メンタルというストレスによるダメージの方が、むしろキャッチーだと、心のどこかで思っているところがあるのもしれません。
もちろん、うつ病を発症する等、深刻なケースに発展することもあるわけだし、ふざけているつもりはないのですが、ちょっと、自分の不幸に酔っているという感じですかね。
昔の日記に、次のように書いてあるのを見つけました。
「右のまぶたがピクピクし出した。本当にメンタルなのかも知れないと、感心した。感心している場合ではなかろうが、体は正直と言うか。私の意志と関係していないところでの体の反応に驚いたというか。本当に、自分が思っている以上に、ストレスを感じているのだなぁとしみじみ思う。」
こうやって、自分のことを客観視できるということは、まだどこか、心に余裕があるのだろうと思います。
しかし、実際に、症状となって体に現れてくるということは、やっぱり、ただ事ではないように思います。
【ある日の後輩とのランチ(日記)】
今日、珍しく、後輩が誘ってきたので、久しぶりに二人で、ランチに出かけた。
後輩の話によると、職務環境が、なかなか厳しいらしい。
心の病とか、わがまま等を理由に、誰からも引き取り手のいないヘビーな案件を、後輩が担当させられているという。
何度、上司に相談しても、人員が足りないということを理由に、うやむやにされているのだそう。
そして、ようやく、専門的技術がある人が異動してきたので、その人に交替してもらえると期待していたら、一向にその気配はなく、キレてしまいそうだと言うことだった。
後輩は、温厚で、まじめで、がんばりやである。
彼女の家に泊めてもらったときも、朝から家中の床を雑巾がけしてピカピカに磨き上げるなど、きれい好きで、働き者。
そして、しっかり者という評価が、私の中である。
だから、そんながんばりやの後輩でも、音を上げることがあるんだなぁと、別のところで感心してしまった。
しかし、逆から言うと、それだけ、後輩は、つらい思いをしているということなのだ。
専門的技術がある人すら拒否する案件を、後輩は、誰からの支援もなく、一人でやらされており、かといって、後輩が不在の際の引継者は、新入社員ということらしく、それは、ひどすぎる。
バカにされていると感じるのも仕方なかろう。
最近では、真剣に、ネットの求人コーナーを見ているのだとか。
今、従事している事務職とは別の、サービス業務的なことをしたいらしい。
ホテルマンとか。
30代にもなってくると、何かしら、転職を考えたくなるようなことが起こるものらしい。
だけど、後輩の場合は、事務職そのものが合わないというよりも、所属している部署の体制や体質に問題があるわけなので、時間はかかるかもしれないが、異動等で環境が変化すれば、それに伴い事態も好転するのではないかと思った。
後輩は、現職に対する適性は、十分にあると思うのだ。
あまり、早まらない方がよさそう。
まぁ、後輩は、賢い娘なので、そんな心配は無用だと思うけどね。
【ある日の調査報告(日記)】
それにしても、「全科・家庭の医学」(社会保険出版社)で耳鳴りや頭痛等のことを調べてみたのだが、例えば私の耳鳴りは、もしかすると、やはり、精神的なものなのかもしれない。
どうやら、耳鳴りは、2種類に大別され、体内の音を聴いてしまう場合と、そうでない場合があるらしい。
体内の音というのは、血流の音や、筋肉の収縮音などがあげられるのだそうだ。
内科の先生に相談に行った際、「チョロチョロ」や「ドクドク」と訊かれた謎の擬音語は、こういった体内音の表現だったのかもしれない。
そして、2つ目の体内音でない場合というのは、正常な人でも、静かな場所に行くと、シーンという音が聴こえるという、その手の音のこと。
私のこの耳鳴りは、体内音ではないようなので、後者に該当するのではないのか。
この耳鳴りは、精神的不安によって、更に強まることもあるということだった。
そうであれば、みちょるびんよ、気を確かに持つ以外ないのだ。
あまり気にしない、と言うことである。
ちょっと、リラックスしてみよう、みちょるびんさん。
以上、みちょるびんでした!