こんにちは、みちょるびんです。
数年前にライデンとキンデルダイクを巡ったオランダの旅。
今回は、当時の日記をご紹介♪
オランダ旅行、2日目の日記(後編)
「シーボルトハウス」に向かう途中にタイレストランを見つけたので、そこでランチにしようと考えていたが、行ってみると閉まっていた。
それで、事前にネットで調べていた‘誰だったかのおススメ’の人気カフェを目指してみることにした。
私がちょうど歩いていた道というのは、観光マップでは‘ショッピング’と記された通り。
アンティークやビンテージの洒落たお店が立ち並んでおり、興味をそそられたが、日曜日のせいかあいにくどこも営業していなかった。
これが日程が逆で、土曜日の昨日に、世界遺産「キンデルダイク=エルスハウトの風車網」(「オランダ旅行!(3)」)ではなく、こっちのライデン観光を先にしてしまっていたら、あちこちにあるこれらの魅力的な店に引っかかってしまい、目的の「シーボルトハウス」に行きつく前に時間切れになっていたかも知れないと思った。
ランチの前に、ライデンの街が一望できるという「ライデン要塞」に立ち寄った。
さほどの高度があるわけではなく、また、建物自体も高いわけではないので、枝を広げた木々が邪魔をして必ずしも‘良い景観’・・・というわけにはいかなかった。
見晴らしの良さを期待していたので、がっかりした。
私は、タワーや展望台だとか聞くと上ってみたくなるタイプ。
これまでにもいろいろなところで絶景を楽しんできた。
だからこそ、この「ライデン要塞」には‘期待外れ’という気持ちを強く持った次第。
しかしあとで調べてみると、実はオランダは、山がない国と言われているので、この「ライデン要塞」の小高い丘はある種、貴重ということのようだった。
なるほど、そういうことね。
さて、この辺りの店はとても流行っていた。
昨日ホテル周辺を散策した際に、その閑散とした様子から「ライデンはすたれた町だ」と思ってしまったが、その逆だった!
たくさんの観光客で賑わっていた。
街の中を水路が通っており、ボートが行き交っていた。
まるで、ヴェネチアに来ているかのようでもあった。
手元にあった、事前に印刷して持って来ていた資料にその名を見たような気がして、道を戻ってもう一度行ってみたそのカフェは、‘誰だったかのおススメ’という人気店だった。
軒先のテラスにはアベック1組が座っているだけで、空いているのかと思ったら、実は歩道を挟んで川沿いに並ぶテーブルは全てがこの店のものだったようで、たくさんの人が食事をしていた。
私は軒先のテラスの方が、陰になって気持ち良かったので、アベックには少し気まずかったが、隣の席を陣取った。
お店のおススメ、ビーフサンドとビールを食した。
美味しかった。
私が次に向かったのは「ライデン国立民族学博物館」だった。
ライデン駅の方に戻った格好。
入場券を買う前に、受付で、最近発見されたという葛飾北斎の西洋画のことについて訊ねてみた。
若い子はわからなかったが、年配の人に通訳をして訊いてくれ、まだ調査中であり展示していないという回答だった。
まぁ、確かに発見されたばかりであり、そうやすやすと展示しないのかも知れない。
がっかりである。
あと2時間くらいしたら、預けていた荷物をホテルで引き取り、空港に向けて出発しなければならなかった。
再び街中に戻る気もしないし、この博物館で見学することにした。
あまりこれまで考えたことがなかったが、展示物を見ながら、あるいはこれは、私が興味のある分野なのかも知れないと思った。
その国、地域の独特な文化、特色が表れた装飾品や衣類、人形等が展示されていて、そのデザインを観るのが面白かった。
私がいろんなところを旅したい、旅先で見てみたいと望むのは、こういったものなのかも知れないとも思った。
アラスカのエスキモーだとか、カナディアン・インディアンだとかが、懐かしい!
あとでわかったことだが、この「ライデン国立民族学博物館」の前衛は、シーボルトの日本コレクションを展示していた「日本博物館」とのこと。
従って、博物館の収蔵事業は、日本の鎖国下に唯一開かれていた長崎の出島で集めたものが基礎となっているのだとか。
現在では、日本以外の国に関する多くの資料についても所蔵しているということではあるのだが。
私が先に訪れた「シーボルトハウス」(「オランダ旅行!(4)」)では、日本から持ち帰ったという‘膨大な蒐集’の割に、その展示量が少なく、拍子抜けしたわけだが、(‘目玉’の展示物は、展覧会のためにちょうど日本に渡っているということはあろうが)この「ライデン国立民族学博物館」の見学で、随分カバーできたということになる!
日本の展示品を見学し、「我が国のものはより繊細だ」と母国愛を再認識することになった。
それにしても、さすがに疲れた。
昨夜の不摂生がテキメンに出てきたといった感じ。
最後の1時間くらいは、気力でがんばった。
空港に行ってからは、おとなしく椅子に座って休んでいた。
その間何度も睡魔に襲われた。
眠り込んでしまい、フライトを逃してしまうことが怖かったので、睡魔と闘った。
お陰で頭痛がしてきた。
一方、長い間悩まされていた四十肩は大分よくなってきたように思う。
体操まではしていないが、負荷を加えるように心がけており、以前よりかは腕が上がるようになった。
今回、「シーボルトハウス」でカタログ本(「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」)を購入していたので、キャリーバッグが重くなってしまい、機内で、頭上の棚まで持ち上げられるか心配であったのだが、何とか自力で収納できたので良かった。
搭乗してみると、私に割り当てられた座席は、避難ドアのすぐ横であることがわかった。
空港カウンターでのチェックインの際に、受付の人が入念に確認する様子を見て、不思議に思っていたが、その原因がこれでわかった。
この席では、手荷物を後元に置いたり、膝に上着を掛かるなどができないので、他の人と代ってもらった。
3列の真ん中の席の青年と交代することになったのは、仕方がなかった。
結局は、私は頭痛がしていたし、頭痛薬を飲んでジーっと小さく縮こまっていた。
夜ご飯用に買っていたサンドイッチは、帰ってから家で食べた。
以上、みちょるびんでした!