こんにちは、みちょるびんです。
中学校に上がってすぐ、1ヶ月間くらいだったと思いますが、入部する部活動を検討・選定するための期間が設定されていたように記憶します。
みちょるびんが通っていた中学校は小学校からのエスカレート式の小さい学校で、運動部が4つしかなかった。
全員が何かの部活に所属することが義務付けられており、特段の理由がなければ基本的に運動部に所属するということが暗黙の了解となっていた。
一応文化部もあったけど、1つだけ。
当時はみちょるびんも、当然のようにして運動部への入部を決めました。
別にその競技に関心があったわけではないし、特別に好きでもなかったのだけど、選択肢は4つしかなかったし、あるものの中から1つを選んだといった感じ。
代々、先輩たち皆がそうしていたし、みちょるびんもそうするもんだと思っていた。
まぁその後、好きなダンスをする際に、比較的自由に機敏に体を動かすことができたのは、この時に体を鍛えていたおかげだという感謝もあるし、悪いシステムではなかったと思っています☆
ところで、部活を始めるまでの約1か月間、放課後、みちょるびんはクラスメートと数人で、毎日のように学校の図書館に集まっていました。
1年生以外の生徒は、ほぼ全員が部活動を行っている時間帯であり、図書館にやってくる生徒など他にいない。
だから実質、図書館はみちょるびんたちの貸し切り状態でした。
今思い起こしても、なぜにそのメンツだったのか、どういう経緯で集まるようになったのか、全く覚えがない。
日頃、あまり接点のないような顔ぶればかり。
だけど、そんな我々には1つの共通点があった。
「ノストラダムスの大予言」に関心があったということ!
当時世間では、ノストラダムスの予言「1999年に人類が滅びる」という話題がもちきりで、テレビではその手のオカルト系番組がよく放映されていたし、子供たちの間にも浸透していました。
みちょるびんもどこで調達したのか、五島勉著の書籍「ノストラダムスの大予言」を持っていました。
「1999年7月に恐怖の大王が空から下りてくる」という、ポエムのようなノストラダムスの予言をどう解釈するか―――。
そこが最大の争点となっていて、ノストラダムスが生きた時代と現代では暦がずれているから、現代に置き換えて考えるとそれは‘7月’ではなく‘8月’なのだ・・・とか、ローマ神話では戦いの神と言われる軍神マルス=火星の動きが活発化するんじゃないか・・・とかいうような謎解きも盛んに行われていました。
確か、その予兆として世界的に小麦が不足するということも本に書かれていて、図書館に集合した皆で、小麦の産出量の多い国やその産出量の推移を調べるなどし、社会科の先生に質問をぶつけに行ったこともありました。
だけど、そんな風に活発に活動していた「ノストラダムス研究部」も、ゴールデンウィーク明けにはお開き。
メンバーそれぞれが、運動部に所属、その部活を始めてからは一度も、ノストラダムスの件で再集結することはありませんでした。
その3年後、みちょるびんは高校に入学。
そこでも同様に部活を決める期間が設けられていました。
みちょるびんは当時慕っていた若くて面白い男性教諭に、オカルト研究会の立ち上げを持ち掛け、先生の顧問就任を打診するなどしました。
結局、うまく先生にはぐらかされ、そのうちみちょるびんも血迷って、また運動部に入部。
オカルト研究会の話も立ち消えになってしまいました。
こうやって学生時代を振り返ってみると、みちょるびんはやっぱり‘オカルト’に興味があったんだなぁと我ながら感心します。
とは言え、オカルト研究会における活動内容についてまでは、明確なビジョンなど持っていなかったんだと思う。
当時のみちょるびんが「心霊スポット」という概念についての知識を持っていたかは疑わしいところだし、実のところ、生まれてこの方「心霊スポットに行ってみよう!」という考えは一度も持ったことがない。
心霊現象に興味がある割に、実際に現場を訪れることはご法度なのです。
不思議体験への個人的な関心よりも、霊を重んじる(?)気持ちの方が強いのかも知れません。
みちょるびんが子供の頃、「口裂け女」の都市伝説が全国の小・中学生を恐怖に陥れたことがありました。
道を歩いていると、大きなマスクをした若い女性が「私、綺麗?」と訊ねてくるので、「きれい」と答えると「これでも・・・?」と言ってマスクを外し、その下に隠していた、耳元まで大きく裂けている口元を露わにする・・・。
そして「きれいじゃない」と答えてしまった場合は、包丁や鋏で斬り殺される・・・というもの。
登下校時に「口裂け女」に遭遇することを皆が不安がる中、みちょるびんは「口裂け女」のことを気の毒に感じていました。
もちろんみちょるびんも怖かったのだけど、かわいそうと思う気持ちの方が強かったし、こちらの誠実な気持ちを伝えれば、きっとわかってもらえるはずと信じていたところがあった。
そんなみちょるびん、成仏できずに「心霊スポット」に集まっている霊のことを、やっぱりかわいそうという目で見ている。
気の毒な境遇の霊をからかうなんてもっての外だし、それ以前に、霊の住処に無断で立ち入って踏み荒らすような行為自体が失礼だと感じるのです。
それに万が一、霊の怒りを買って、目をつけられるようなことになっては困るわけです。
自分では祓う等の対処はできないし、だとしたら、そんな危険を冒してまでわざわざ出かけたいという気持ちにはならない。
たまに、一緒に出掛けた仲間が霊に呪い殺された・・・などというような怪談を聞くことがありますが、大切な友達をそんな風にして失いたくはないよね!?
今となっては、オカルト研究部の発足が叶わなかったことに感謝。
みちょるびんはその1年後には演劇部に出会い、それがみちょるびんの人生を大きく方向づけるものになったと思っている。
演劇部でなければ、即興ダンスには結びつかなかったと思うし、表現することの楽しさに出会えていなかったかも知れない(「第一次仕事イヤイヤ期(その3:『迷走』編)」)。
感慨深いね。
以上、みちょるびんでした!